「体験発表」

創価学会員であれば、「体験発表」というワードには馴染みがあると思う。そしてそれは、関西創価学園生も同じ。行事や集会、また卒業後の同窓会で、毎回2〜3人が選ばれ、今までの体験の発表を行う。

体験発表の内容自体は、学会のそれと似ている。〜という困難があって、〜をして(大抵の場合はここに唱題が入る)乗り越えた、という内容。

発表の内容それ自体は素晴らしいものだし、感動もする。

ただ、体験発表をするメンツには、ある一定の基準があるように思う。

まずは、部活や課外活動をしている生徒。そこには、勉強と家庭の問題、そして学園生活との「両立」に苦労した、といったストーリーが必ず存在する。

伴い、学年の中での有名人が選ばれやすいということ。私の在学当時は、高校は全8クラスあり、同じ学年でも顔も名前も知らない人はたくさんいた(人見知りな私には特に顕著だったと思う)。その中で、実行員会や生徒会などで全校生徒の前に出る機会も多く、私でも名前と顔を知っている、という生徒は稀にいた。そして、体験発表は、そういった人たちがよく選ばれていた。

私は部活はしていたけれど、上に書いた通り人見知りな性格なので、全校生徒の前に立つような活動も行わず、有名人とは正反対な一生徒だった。

体験発表の存在そのものに疑問はない。ただ、体験発表をする生徒=学園生の模範、というイメージはあり、それに乗っかれない私に、毎回自分で罪悪感のようなものを抱いてしまっていた。そんなものはハナから気にしなくて良いと、今なら思えるけれど。(体験発表者に選ばれない生徒の方が多数なのだし。)

私は私なりに、部活と勉強をとても頑張っていたのだが、わかりやすい「学園生」のイメージに当てはまるような生徒ではなかった。私は学園の中で誰からも評価されず、透明人間になったように感じていた。

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