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継ぐ気なし、ビジョンなしの2代目社長が荒波のなかで見つけた会社の存在価値

大田区で50年続くものづくり企業の株式会社エース(以下、エース)。代表の西村 修さんは2代目の社長です。最初は会社を継ぐ気がなかったという西村代表。なぜ会社を継ぐ決意をして、どうやってリーマンショックや大震災などの不況を乗り越えてきたのでしょうか。西村代表に聞きました。

株式会社エース 代表取締役 西村修 

実家を継ぐ気のない営業マンの人生を変えた、ある言葉

最初、実家を継ぐ気はなかったんです。普通に就職活動をして、トラック・バスの製造および販売をおこなう三菱グループの会社に新卒で就職しました。そこでは入社時から30歳になるまでの8年間、販売営業を担当しました。30を機に実家に戻り家業を継ぐ……というわけでもなく、お客さんから引き抜きの声が掛かったのでその会社へ転職しようと考えていました。

転職しようとした会社は、浅草の老舗企業でした。社長も5代目、6代目くらいなんですよ。そんな歴史ある会社だからか、面談時に「西村くんのお父さんは何をやっているの?」と聞かれました。私は正直に「大田区で町工場をやってます」と答えたんです。すると急に、「うちに来ないで実家に帰れ」と。

さすがに驚きましたが理由を聞いてみると、「人生一度きりなんだから、社長になれるならなったほうがいい」とのこと。たしかに、20年以上前のあのころはITも発展しておらず、起業して社長になるなんてまずできなかった時代でした。

会社には辞表を出してしまったし、転職先にも結果的に断られてしまった。「行くところがなくなってしまったから」というなんとも消極的な理由で、エースに入社することとなりました。

あとがないから、がむしゃらに

入社してからはもう大変でした。未経験のものづくり業界。実家が「何屋さん」ということも最初は分からず、社員からは1年ほど口を聞いてもらえないような状況です。毎日胃が痛い日々でしたが、大手企業をやめてしまったし、すでに家庭はあったし、「やるしかない」と追い込まれながら働いていました。

そんななかでも、もともと営業をやっていたことは救いでした。ひたすらお客様のところに毎日足を運び、雑談し、宿題をもらい、大田区の町工場に教えてもらい、見積を出し、時には怒られ……その繰り返しで淡々と業務を身に着けていくことができました。

ただ、そのころはまだ、明確なビジョンはありませんでした。ただ仕事を取ってくるだけで、将来会社をどうしていきたいという意思はなかったんです。そんなとき、親が仕事を引退し、会社を継ぐことになりました。

リーマンショックをともに乗り越えた協力企業の存在

会社を継いだ年に、リーマンショックがやってきました。仕事は激減し、会社の資源は底をつきてしまいました。

そんなピンチを脱したのは、いまもエースの大きな支えとなっている全国の協力企業の存在です。当時、日本中どこの町工場も仕事がない状況でした。とにかく1~2年間は、協力企業が倒れてしまわないように、必死で仕事を取ってきて、社内の工場を休みにしてでも、協力企業に渡すようにしたんです。

結果、エースのおかげで食いつなぐことができた会社もあったようです。そこで生まれた絆は強く、現在どれだけその会社が大きくなり、忙しくなっても、エースの仕事は受けてくれています。リーマンショック後は本当に大変でしたが、そのころの地道な活動のおかげでいまがあると感じています。

大田区の共同プロジェクトで実感した、エースの強み

リーマンショック後に会社の一命をとりとめたのもつかの間、東日本大震災が起き、また仕事がガクンとなくなってしまいました。もうどうしようかと頭を抱えていたころ出会ったのが、「下町ボブスレー」。大田区の町工場の技術を集結して、ボブスレーのソリを作るプロジェクトでした。半ば現実逃避的に参加したプロジェクトでしたが、それが結果的に自社の強みを知るいいきっかけになったんです。

私はこのプロジェクトの製作のとりまとめ役を2018年まで担当し、大田区の町工場100社ほどを束ねることになりました。これまで関わりのなかった協力企業以外の町工場と仲良くなり、現場を見に行く機会も増えました。

他の町工場を見るなかで感じたことは、「ものすごい技術力をもち、とても勝てない会社も数多くある」ということ。そして、「営業がほとんどいない会社や、自社の製品以外のことは全く知らない会社もある」ということ。

もともとエースは何か1つに特化して強みを持つ会社ではなかったから、「なんでもできる」ことが恥ずかしいと感じていたんです。しかし、「なんでも分かる」や「なんでもできる」会社は意外と少ない。これまで明確なビジョンがないままに会社経営してきましたが、ここではっきりと存在価値が見えた気がしました。

そこからは周りに何を言われようと、営業に特化していこうという強い志を持つようになりました。「ものづくり営業」という言葉を会社の強みとして掲げ始めたのも、震災後からですね。

もともと先代のころから営業に強い会社ではありましたが、商社のように思われることに先代は抵抗があったようです。しかし、そこをあえて言い切れるほど突き抜けることができれば、それはそれでいいのかなと私は思っています。

現在では「ものづくり営業」をエースならではの独自性として打ち出し、自社内の営業メンバー育成はもちろん、全国の町工場の後継者育成や、大田区のプロジェクトにも多数関わっています。

大田区の町工場との協力で実現した 「大田精密バイス」

最初は消極的な理由でビジョンなく継いだ会社でしたが、いまでははっきりと会社の方向性を見据えられるようになりました。自分の手ではものづくりができないからこそ、ものづくりができる技術者を絶やしてはならない。そんな強い思いを大切に、エースはたくさんの協力企業とこれからも歩み続けます。


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この記事は、
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担当ライター:安光 あずみ