寛大とは、広く大きい事。
人に何かを与えられるというのは、寛大な人。
何かとは、単純に物だけではなく、時間やエネルギー、勿論、お金や資産も含まれる。
技術を教える、機会を与える、これも寛大でなければ出来ない。
許すというのも実は寛大でなければ出来ない。
寛大の反対は狭量。
全てに小さい。
それについて述べても仕方がないだろう。
で、寛大だとどうなるのか?
一見損をする様に思えても、"必ず"良い事がおこる。
間違えてはいけないのは、良い事がおきるように想定して人に与えるというのは、寛大ではなく、これは投資に近い。
それとは違う。
よくTVを観ていると、「企業秘密です」とかいって、教えてあげない人がいる。
確かに苦労したのはわかりますけど、それでは得られるモノが減ります。
そんなのは与えてあげればよいのです。努力したのはやった本人ですから。奪われる心配しなくても、与えられた人は、同じようには出来ません。
何でそうするのかという点は、同じように苦労しないと本当には見えてこないのです。独占して小さく得意になっていてどうするのでしょう。
博多明太子の創始者、川原俊夫さんは、みんなに評判になった明太子製造方法を独占せず、教えて欲しいという方には気前よく教えてあげたという。
それが底上げに繋がり、博多の名産といえば明太子となり、結果じぶんに返って来ます。
凄いですね。
『まき散らしているのに,なおも増し加えられてゆく者がいる。また,当然出すべきものをとどめているのに,ただ窮乏に至る者もいる。』
聖書の言葉。
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