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「締めの言葉」って重要。

どうも、えーすでございます。

早速本題です。

私はTwitterとLINEをやっております。
基本的にTwitterは自分が発信したことに対して返事を求めてないのが多いうえに「いいね」の機能があるので読んでくれたんだな、というのが分かりますし、DMを送ってきてくれた人たちの大半は「またね」とか「話しを聞いてくれて有り難うございました」などの言葉がついてくるので「丁寧な子だな」とか「話しが終わった」と思えます。
また、生放送をやっている手前、クイズ形式のときに「私にヒントを誰かDMに投げて」と言ったときはDMにヒントを投げてもらっても「ありがとう」くらいしか言えないので別とします。

ただ、相談に乗ってきた、相談をしているというときに、TwitterやLINE問わずに、話しの本筋が終わっていようがなかろうが、そのまま既読で返事をしない方がいます。
特にこちらから相談をしているときに話しが長くなってしまった場合、話しが飽きたにせよ忙しかったにせよ、個人的にはそれが「この人は私と話しをしたくないんだな」という風に思えてしまうときが結構あります。
私は話が長い人間なので、制止をしてくれた方が助かるときが多いのですが、いわゆる「既読スルー」は、特にLINEにおいては「次も相談していいものか」と悩む材料になります。
後日「あれから忙しくなって」という連絡をくれる方も勿論いますが、この人は興味ないんだなと思って相談は勿論、言葉を掛けるのも躊躇ってしまいます。
逆を言えば「締めの言葉」がある人とは、時間をおいてまた話したくなります。
私だけなのかなと思い悩んでいた頃、とあるコラムを目にしたので読みました。

そのコラムでは「察して欲しい、という言葉は察して欲しい側のわがまま」みたいなことが書いてありました。
タイトルだけが直球なのかと思って読んでいましたが、内容も結構直球でした。
内容は、話し相手はエスパーではないので言葉にしないと分からないということを細かく描いておりました。
例えばですが、あなたが完結しても相手は未消化である、あなたの「察して」の言葉で相手は振り回されている、言い方の問題ではなくあなたの行動の問題、自分の状況しか判断しておらず相手の気持ちを「察して」いないと。
また、傾向として言葉を掛けられている方が「察して」と思うことが多く、話しを勝手に切り上げる、既読スルーにする傾向があるのだとか。
その上で、100%相手に気遣えと言っているわけではないが、相手を思いやれないくらいの気持ちになっているとも。

このコラムはパートナーがいる人を対象にしたものでしたが、なるほどなと思いました。
パートナーに限らず友人や家族でもそうだなと思います。
とくに文面の相手は普段の行動が見えないので気を遣わなければならないなと思いました。
私たち夫婦も何度か「察して」とか「話しが終わりかどうか分からない」などの言葉で揉めたことがあります。
その都度、色々話し合っています。
ただ私たちは夫婦なので、目に見えて分かる情報もあるので、今は触れない方がいいのかなと判断できることもあります。

しかし文面だけの相手は、先のコラムの言葉のようにちゃんと表現しないと伝わらないことが多いと感じます。
冒頭に戻りますが「この人は私と話しをしたくないのかな?」という風に捉えることも出来てしまうわけです。
私は忙しくなるときも、話しについていけなくなっても出来うる限り「またね」や「ありがとう」という言葉を使って話を終わらせるようにしています。
個人的な意見となりますが、それが自分が良い人に見られたいからではなく、自分が同じことをされたら嫌だからという気持ちが強いですね。

ここ半年以内に連絡した方は話の途中で既読スルーになったり、変身が的外れになっている人が多く、最近にもいらっしゃいました。
もっと言ってしまえば、年下の人たちの方が「締めの言葉」を言っている傾向がありました。
私も見習わなければと思い、ここに思ったことを書いた次第です。

言葉って難しいですね。

2022.01.31 えーす

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