【掌握小説】ブレイク ブローク ブロークン

「ったく。スイッチ押してもうんともすんとも言わねぇ」

 ケンジはそう呟くとリモコンをソファーに放り投げた。どうやらエアコンが壊れたらしい。こんな夜遅くに説明書を引っ張り出すのも面倒で、ケンジは暫しの間途方にくれた。今夜もあいにくの熱帯夜だ。人一倍暑さに弱いケンジはげんなりとした表情で、しかし背に腹は変えられぬとばかりに押し入れから扇風機を取り出した。

 扇風機は毎年埃をざっと拭き取られるだけで、基本的にそのままの形で押し入れにしまわれている。「よっこいせ」ケンジは扇風機からカバーを剥ぎ取ると、風量を最大にしてその前にどかっと座った。扇風機がきちんと稼働することにほっとしながら、冷凍庫から取り出した保冷剤をタオルにくるみ、首にあてがう。

 本当は帰ってすぐにシャワーを浴びることをケンジは毎日の習慣にしているのだが、今日は流石に疲れきっているせいか座り込んでしまった。風呂上がりに飲むと決めているビールを取り出し、乾いた喉に押し込む。

「はぁー、息返った」ケンジはキンキンに冷えたビールを飲み干すと、今日の出来事を思い返していた。

「あのクソ上司。人をなんだと思ってやがる。面倒な仕事全部押し付けやがって」 

 新卒で入った会社でケンジは、人生とは決して平等にはできていないのだという当たり前の事実を日々噛み締めていた。理不尽な上司。おべっか使いのやたらとうまい同僚。女子社員の冷ややかな眼差し。 

 すべてがいちいち勘にさわる。俺は俺の仕事だけを淡々とこなして、誰からも期待されずに、こちらからもむやみに頼りになどせずに石のようになって生きていきたいのに周囲がそれを許してはくれなかった。

 シャワー浴びるかとケンジが思い腰をあげたその時、扇風機は「ブブブ」と鈍い音をたててとまった。「げっ」思わず声がもれた。扇風機にまで裏切られる俺。今日はどこまでついてない日なのだろう。

 大声でわめき散らしたい衝動をなんとか抑えシャワーを浴びる気力もないまま、テレビをつける。

 政治家の汚職についてのニュースを流し見しながら、汚職をするほどの才覚のないケンジはいよいよ自分のことが嫌になってソファーに転がった。

 その時である。手が触れたのだろう。エアコンのスイッチが入ったのである。最初は「ブブブ」と鈍い音をたてるだけであったが、そのうち規則的に涼しい風をおくるようになった。エアコンをぼんやりと眺めながら、ケンジは目の前のもやもやが急に晴れたように軽やかな気持ちになった。

「たったこんだけのことで元気になる俺って一体」今ならあのムカつく上司も、保身のことしか考えてないあの政治家のことも許せそうだ。

 ケンジは自分の現金さに呆れながらも、鼻歌まじりで風呂場に向かった。石のように生きていくことは俺にはまだ無理だ、とか

そんなことを考えながら。







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