短編小説  12時前のシンデレラ


「お腹すいた。彼氏欲しい。」
「志織ちゃん。その発言の文脈がいまいち分からない。」
  

 隣を歩く頭一つ背の低い友人にそう指摘され、私は「えへへ」と笑う。しょうがないじゃない。18歳の女の子にとってはまるでお腹がすくように当然のごとく彼氏が欲しいものなのだから。

「じゃあ。今日はここでお別れだね。また明日ね。」

 そういって愛美ちゃんは嬉しさを全身に滲ませながら高島屋のビルの中に吸い込まれていった。彼女は今から彼氏と待ち合わせの予定なのだ。待ち合わせまでまだかなりあるらしく、高島屋で時間を潰すと言っていた。今日は後期授業の登録に来ただけだったのでまだまだ午前中の早い時間帯なのだ。

 彼氏かぁ。生まれてこの方そのような存在がいたことがない私はただただぼけっと彼女を見送るのが精一杯なのだけど、さっきみたいな発言がふいに口をついて出てしまうぐらいには全く憧れがないといえば嘘になる。

「彼氏欲しいなぁ」
 私は再度呟いた。家に帰って私はTwitterのアカウントを作った。とてもキラキラしてる可愛い可愛い女の子のアカウントを。そのアカウントの私は朝食に納豆なんて絶対に食べない、ラーメンのスープは全て残す、美容にもお洒落にも手を抜かない完璧な女の子という設定である。すぐに男性のフォロワーがたくさんついた。中には実際に「会いたい」と言いだす人までいた。

 さすがに危険と判断した私はその誘いには乗らなかった。でも私にだって十分価値があるじゃんと思わせてくれるには十分なツールだった。

 ある日後期の授業が始まり高島屋の時計のところで愛美ちゃんと待ち合わせをした。私はエスカレーターを見上げる。

 私にとってあのエスカレーターは、シンデレラが舞踏会から逃げ戻ってくる時の大階段に思えて仕方がないのだ。「シンデレラお忘れものですよ」「私のことはどうぞおかまいなく」ああ。そんな人が私の人生にも現れてくれたら。

 急にすべてが虚しくなって私はおよそ三分間悩んだのちTwitterのアカウントを消した。消したら現実の私がどっともたれかかってきたみたいでしばしげんなりとしたのだけど、これが生きてるものだけがもつ重みなのだと私は実感した。私はもっと現実と格闘しなくてはいけない。それは若さがもつ特権であり責務である。

 自分の幸せは自分で決める。彼氏がいようといなかろうと腹はすく。腹がすいては戦はできぬ。まずはこの空腹を満たさなくては。私は今までにない新鮮な気持ちで高島屋に続くエスカレーターの前に立っていた。そしておもむろにバッグからスマホを取り出し、まるでピースサインでもかますように爽やかに時計の写真をカメラに収めるとビルに向かう人々の雑踏のなかに飛び込んだ。

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