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米ぬか玄米カイロを事業に。そのきっかけ

私たちは、双子の姉妹です。
(左から、行方、永井)

新潟県南魚沼市で、精米の際に排出される米ぬかを使用した「米ぬか玄米カイロ」というものを、自宅兼作業場で製造販売しています。


今回は、なぜ、私たちが米ぬか玄米カイロを作ろうと思ったのか、事業として本気でやろうと思ったのか、そのきっかけについてお話させてください。


永井について


製菓の専門学校を卒業した永井は、卒業後から20年以上パティシエとしてやってきたのですが、令和元年の冬の初めに長女の手術と自宅での長期療養により仕事を退職しなければならなくなりました。


パティシエ時代の永井

通常では、手術し入院管理できる病気なのですが、新型コロナウイルスの流行により、手術待機患者となってしまい、永井もその影響で仕事を長期間休まざるを得なくなりました。

一時入院中永井の長女。その後コロナ渦の感染症予防のため、長期自宅療養となります。

「いつも忙しくて子供を見る時間がなかったけど、ここでしっかり向き合えということなのかな」と、仕事を辞め、その代わりとして在宅でできる仕事をと、布小物の制作と販売をはじめました。

令和元年、新型コロナウイルスの流行下での小物づくりは、衛生面に気を使った商品が売れました。お客様からのリクエストでマスクやベビースタイ、薬ケースなどが受け、全国へ発送しました。

だんだんと増えていった縫製道具

お客様からは、健康面に関するお礼やエピソードが多かったことで、永井自身も健康志向が高まっていきました。

行方について

一方、行方はインドネシア人の夫と子供とジャカルタで生活していましたが、夫の日本留学のため日本へ帰国したところでした。

インドネシアジャカルタの職場にて(妊娠6か月目でした)合計4年間お世話になりました。


就労と出産・育児をインドネシアで経験した行方ですが、生活の中で、日本のように健康保険制度が整備されていなく医療費はとても高額でした。

通常の通院費用だけでなく子供の定期健診費用や予防接種も一回の診療費で日本円で一万円以上かかります。ですので、自分の医療は後回しになり、子供にかける医療費で精一杯でした。それはインドネシア人も同じです。

娘の予防接種前検診、インドネシアの病院にて(こちらで出産しました)


インドネシアの人々は、日ごろから病気にならないようにと自然由来の薬膳ドリンク(JAMU)や、日本でいうハッカ油のような万能油「ミニャック・カユ・プティ」を頭痛・腹痛・痛みなどの緩和に使用したり、未病への対策をしていました。

これは、行方自身も見習い、毎日薬膳ジュースを飲んだり、カユ・プティを使用したり、冷たい飲み物を飲まないように等して、日々健康管理に努めていました。

JAMUと呼ばれる薬膳ドリンク パームシュガーと様々なハーブ、スパイスを使用しています。職場でも毎日グアバ、バナナ、アボカドなどのフレッシュジュースを飲んでいました。


そういった生活から日本へ帰国した際に、客観的に日本を見て感じたことがありました。

日本人は、医療技術が進んでいて、健康保険制度も整っていることもあり、安心して医療が受けられる反面、勤勉な日本人の性格が作り出した競争社会の影響により、体が悪くなってから病院へ行き治してもらう、という「未病」とは逆の考え方でした。

ちなみに、インドネシアでは、仕事を休む理由のひとつに「風邪をひきそうだから休む」というものがあります。日本の企業の人事部が聞いたら、呆れてしまうかもしれませんが、風邪を引いて三日休むなら、風邪を引く前に一日休んで元気な体で効率よく働く、というそれなりに合理的な考えであり、これもまた、「未病対策」といえます。

朝市場の思い出。息子とピクルス用の茄子。


では日本人は日常的には健康に気を使わないのかというと、全くそうではないです。むしろ、皆さん、気を使いたくても使う時間や病院にいく時間がないという現実的な事情があります。


日本への引っ越しの際、地元南魚沼で永井と再会しました。姉妹なのでお土産を渡したり、お茶をしたりと、他愛も無い感じです。


それから数カ月が経ったある日、行方は「南魚沼市の副産物」を使い体に良いものは作れないかと思案しはじめました。

それは、行方の夫が当時SDGs(持続可能な開発目標)について大学で研究(地質学と国際経済関係についてですが)していたのですが、しばしば会話の中で「SDGsとは何か」、「ゴールとは何か、どんなゴールがあるのか」などを考える機会がありました。じきにSDGsという言葉や国連が掲げる未来の世界を身近に感じはじめ「私にも未来の地球にできることがあるのではないか」と思い始めたことから、冒頭の「南魚沼市の副産物を使った製品づくり」に繋がっていきました。

そして、「米どころこの地で、精米時に排出される米ぬかを使用したもので何か作ってみよう」と、そこではじめてカイロづくりを試みました。


精米時に排出される米ぬか


行方が手作りのサンプルを永井のもとへ持っていき「これ、電子レンジで一分温めてみて!目に当てるとすごく気持ちいいから。良かったらこれ、ちゃんと作って売りたい!」と同じマスク生産で忙しかった永井に提案しました。

永井に渡した第一号の米ぬか玄米カイロ
※現在と仕様が違います。カバーを裏返す時の、角の出し方も知らないで作りました。


当時永井はちょっとしたハンドメイド作家として注文が増えてきたところで、昼も夜もなくミシンを踏み続けていました。

永井は制作で多忙だったため、すぐには試しませんでしたが、寝る前にふと思い出して温めてみました。香ばしい、稲刈りの時の「あの」香りがしました(米どころに住んでいる人なら、皆知ってる脱穀の時の匂いです)。祖父の代で辞めた稲作の時の風景を思い出し、嬉しく、懐かしくなりました。

何よりじんわりした熱が心地よく、「わたし、こんなに疲れていたんだ」と改めて実感しました。カイロを目から外すと、すーっと冷たい外気が気持ちよく、気持ちまでスッキリしてぐっすりと眠ることができました。

翌朝、行方に「これは本当に良かったし、人に広めたい、病気にならないためにとマスクを売るんじゃなくて、病気にならないからだ作りの提案として広めたい。やるからにはちゃんと作ろう」と、昨日の行方の提案を受けました。

その後、行方は永井の個人事業に参加し、ふたりによる米ぬか玄米カイロづくりが始りました。カイロの配合やサイズ、縫製加工など施策を重ねて
初めは一日5個までしか作れませんでしたが、一年後には生産体制を拡充し、小売店や百貨店の店頭である程度の数を販売できるようになりました。

オーガニックコットンのカバーの米ぬか玄米カイロ


健康志向が高まってきた昨今、子供の病気をきっかけに起業した永井と、インドネシア生活が教えてくれた未病対策の提案から生まれた、「南魚沼の米ぬか玄米カイロ」。

「とっても気持ちがいい。疲れも痛みも楽になった。みんなに知ってもらいたいから、私たちにしかできないやり方で売ってみよう。」その一念でスタートした米ぬか玄米カイロの開発事業、はじまりは令和2年9月半ばのことでした。

これが私たちの事業のきっかけです。
昔も今も好きなことを言い合い、だからこそより良いものを妥協なく作り上げる。まずはやってみよう、から事業が生まれます。

当初は、ハンドメイド作家が流行っていたので、私たちもその一端として、「はいはい、今流行ってるよね」と言われたこともありました。でももう3年続いています。周りからの見え方を変えたくて、一生懸命事業に取り組んできました。「なにくそ根性」です。でもこれってすごい行動力に繋がります。

お互いの役割が自然とわかる私たちが、それぞれのアクションでこれからも米ぬか玄米カイロを世に発信していきます。

8月1日スタートの、マクアケプロジェクトでは、妥協なく今まででいちばんの仕上がりの製品を皆さんにお見せします。

骨盤を温める米ぬか玄米カイロ「NUKAIRO」
マクアケで8月1日公開予定




次回は、米ぬか玄米カイロのメカニズムについてお話します。
どうぞ、お楽しみに!

※書き下ろしのため、乱筆乱文につきご容赦ください。少しずつ加筆修正していきます。宜しくお願いいたします。

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