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凍てつき感じられなくなったきもち

イルセ・サン著 「親しい関係からなぜか離れたい」がなくなる本
を読みました。

イルセ・サンは「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」と言うHSPの本の方が有名でしょうか。

この本は、大人になってからの人間関係の問題が子どもの頃の、辛い出来事や悲しみから自分を守る為にとった「自己防衛の戦略」を大人になっても無意識にとってしまうことで起きている。と言うことが書かれています。

実はこの本ではその内容よりも、自分自身の不思議な反応への印象が強く残りました。


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この本には何人もの具体例が書かれているのですが、読んでいて時々胸がチクチクするという違和感がありました。しかしその内容が心に響いたとか、辛くなったとかそんなことは何も感じていないのです。心には何も感じないまま、ただチクチクと体だけが反応しているようで「ん?なんだ?」と言う感じなのです。

そんななので、どの箇所でそうなったのかも覚えていないですし、チクチクしたのも初めて読んだ時だけだったので、はっきり振り返ることもできません。ですが多分、子どもが何かの戦略をとる話を読んだ時に、チクチクしたんだと思います。


私も心を麻痺させたり、現実逃避してきた自覚はあります。ただあまりにもそれが自分の一部になりすぎていて、ちゃんと自覚できていないのかもしれません。特に幼少期に自分を守るために取った戦略に関しては、感情との連携が分断されてしまっている様な気さえします。

もしもそうだとしたら、今想像するよりももっと、子どもの頃の悲しみは強かったのかもしれません。気づいてあげられず、子どもの頃の自分にとても申し訳ない気持ちが湧いてきました。

あくまで自分の仮説で全く見当違いかもしれません。だけどあの体だけ反応している事が、感情を閉じ込めた結果だったら。そこには忘れさられた「悲しい」がまだ凍りつき閉じ込められているのかもしれません。


あの感覚はなんだったんだろう、そんなことを考えながら書いていたら、時間ばかりかかって内容はペラッペラでした。(笑)

ただだいぶ自分の奥まできたような気もします。
ずっと持っている怒りの奥の、感じることができなくなっていた悲しみ。

ここに触れるのが怖くて、色んなことから逃げていた様な気もします。


子どもの頃はその悲しみに向き合うことができなかったけど、いまなら向き合える。まだ、感じることはできないけど、noteに書いていくことでいつかたどり着けるかもしれません。

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