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必要だったのは、この時間かもしれない

分からない。なんでか、分からない。言い方のコントロールができない。

昨日の朝、昨日の夜。

「これではいかん」と、昨日の夜、子ども達を寝かしつけた後に、とにかく自分を甘やかした。

パクチー納豆キムチ豆腐&レモンサワー、スモークカマンベールチーズとクラッカー&赤ワイン。写真でも撮っておけばよかった。

BTSをyoutubeで見て、好きなドラマ(今は『海街チャチャチャ』)をNetflixで観て、そうそう最後には、あんドーナツなんかも食べてね。

これで気分は戻るのではないかと思っていただけれど、今朝も同じ。もう、子ども達と話すことも”面倒くさい”と思ってしまう。目玉焼きをごはんに乗せたい娘と、目玉焼きはごはんに乗せずに別々で食べたい息子、それぞれに用意して出す。梨を食べたいと言われたから、切った。もともとは、キウイだけを半分に切って出して終わりの予定だったのに。今朝の私にしては出血大サービスだ。

娘をマンションの下まで送り出して、その後は部屋にこもって横になって瞑想しよう。仰向けになったはいいものの、向こうから夫と息子が「うんちは出たか」「トイレでまだ絵本をよみたい」なんて繰り広げるから、瞑想なんてできたもんじゃない。

無事に息子は保育園に出かけ、静かな中で小1時間の朝寝。静かに、一人で寝られるってだけで贅沢なんだけど、しかもそれを朝の時間に。9時。本来ならお仕事を始める時間なのに、このままいつも通り仕事をしたら、今日の夜がどんな夜になるかは容易に想像がつく。なんとかして変えなくては。

流し見していたFacebookで、こんな記事を共有されてた。

「自分起点で考えることは、わがままではない。とにかく自分は後回し、自分より子ども、自分より両親、自分より周囲の人、日本ではそれが美徳のように語られますが・・(続く)」

ありがとうございます。(代弁していただいて)

自分起点で考えよう。仕事は山積みなのだけれど、生きていく中で私が大事にしたいのは家族で、家族に対して今とんでもない対応をしてしまっている。極論、仕事はどうにかなる。このままでは自分がどうにかなってしまいそうだから、自分を優先させてください、そんな気持ちでキッチンに立ち始めた。

かぼちゃの蒸しパンを作った。始めて作るものって、新しい扉を開ける感じがして好き。かぼちゃをちょこっとしか使わなかったので、余りは煮物に(きっと子ども達は食べないだろう。食べてくれると期待しない←ここについてはまた後日書きたい)。

まずまず、おいしい蒸しパンができた。実は料理教室のための試作も兼ねていたのだけど、気分転換にやることが、半分仕事っていう感覚が私は好き。山積みの仕事を横に置いて自分の時間を使わせてもらったから、このことをnoteにして、半分仕事だったよ、と自分に言い訳してみたりしている。いやいや言い訳はもういいよ、自分が好きなように生きようね。

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