深セン日本人学校の事件を知って
先日、中国の深セン日本人学校の児童が刺されて亡くなった。
約25年前、私は某国の日本人学校の児童だった。当時日本人学校がある国の中で危険な国トップ5に入るような場所だった。
学校では危険人物が侵入して来たという想定の避難訓練の回数が一番多かったし、公用語の授業で初心者が最初に教わるのは「手を挙げろ」「動くな」「喋るな」など、もしもの時にわからないといけない物騒な言葉だった。学校には銃を装備した警備員さんが何人もいて、常に巡回、見張をしてくれていた。
学校と家の中でしか遊べなかった。近所の公園で遊んでみたかったし、自由に出歩きたいという気持ちもあったけど、日本人学校の中学部のお兄ちゃんお姉ちゃんたちも素直に従っているから本当にだめなんだろうなと感じていた。
車に乗らないと家から出られなかったし、帰宅後はガレージの扉が完全に閉まったことを確認してからじゃないと車から降りることを許可されなかった。
家の前の道には見張りの人がいて、たまに銃声のような音が聞こえてくるような場所だった(大抵の場合は爆竹の音だったけれど)。
こうやって書いてみるとそれはそれは危険な地域だったんだなあと感じるけど、当時のわたしはそれはそれは毎日とても楽しく平和に過ごしていた。当時周りにいた大人たちが全力で守ってくれていたこと、どれだけ必死に危険を遠ざけてくれていたかが、今ならわかる。そして、その鉄壁が破られてしまった重大さを、怖さを、ヤバさを、多分我々夫婦は世間より感じている、と思っている。
というのも、夫も同じ時期に同じ学校に通っていた人で、今でも当時のことを日常的に話すし、当時の経験がその後の人生の選択(結婚含め)にも多大に影響している。日本人学校やその国というのは私たちにとって大きな意味を持つ場所なのである。
間違いなく夫もこのニュースを目にしているはずだけど、我が家では一切話していない。それはもう、不自然なほどに触れていない。
今回亡くなった10歳の男の子は、もしかしたら私だったもしれないし、夫だったかもしれない。お互いの兄弟や同級生、つまり今でも繋がりのある共通の友人だったかもしれない。そして私たちはいま、当時の親たちと同い年ぐらいになっている。我々に子供はいないけれど、子供達を守る側としても考えてしまう。
そう思うと、とてもじゃないけど話すことができない。
数日前にここまで書いて、下書きに保存してあった。
この七生真緒さんの記事を読んでぼろっぼろ泣いた。泣きながら、抑えきれず勢いに任せて書いた。同じことを思っている人がいると知って少し安心した。七生真緒さん、的確に言語化してくれてありがとう。救われました。
事件やニュースについてはあまり残さない方針だったので消そうかと思ったけど、数日経っても一人では抱えきれなかったので、公開することにした。
同じようにひとりで苦しく辛い思いをしている人の助けになれば…。
ご遺族の方、関係者の皆様、そして各日本人学校に通う児童とそのご家族が一日でも早く穏やかな日常に戻れますように。