絵柄についての色々なこと

夜島ケロです。ツイッターでこの話をするとめちゃくちゃ長くなりそうなのでnoteというものを使ってみることにしました。僕はずっと絵柄を見失って自問自答と迷走の日々を送っていたのですが、この9月、ようやく探していた自分の絵柄の根幹を見つけることができました。実際かなり嬉しいので、そのテンションで今までのことを改めて綴ろうというところです。

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全ての始まりはある一冊の本との出会いから。その本が、ダイスケリチャードさんの画集、気化熱です。

2018年10月ごろ、アニメは1クール5本も見ていながらイラスト業界に全く興味のなかった僕は本屋でたまたまこの本を目にして、たちまち彼の作品に魅了されました。その時の衝撃といったら、とんでもないものです。

12月、ようやく画集を手に入れて創作意欲を刺激された僕はすぐに絵を描き始めました。ところがここで問題が発生します。どんな風に描いても、何を思いついても、全てがダイスケさんそっくりの世界になってしまうのです。

そこで僕は考えました。「今まで自分の絵柄だと思っていたものは、実はどれも他人の模倣にすぎないのではないか?」


時は戻り同年11月下旬。学校で校内芸術展が開かれていて、僕は美術選択だったのでそこに参加していました。特別ゲストとしてやって来たのは、美術の先生の恩師である有名(らしい)な日本画家の先生。僕らは1時間程その先生のありがたいご講演を聞き、講演後その先生はホール内の様々な展示作品をゆっくりと見て回り始めました。そして、ある生徒の展示場所の前で立ち止まります。そこには、有志展示の綺麗なイラスト原画が10枚ほど飾られていて、日本画家の先生はその絵たちを指してこう言いました。

「人真似はあかんやろ笑。」


さて、話を戻します。「気化熱」を読んだ直後、僕は「ダイスケリチャードさんの真似」をしているに等しい状況でした。そこで思い出した「人真似はあかんやろ」の言葉。そして僕はこう考えました。

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「そうだ、自分は今まで誰かの真似しかしていなかった。そんなものを自分の絵柄だと言っていいのか、いや良いわけがない。『自分の絵柄』を見つけなくては。でも自分の絵柄ってなんだ?いやどっちにしろ、誰かの真似はしてはいけない。『今までにない絵』を描こう。」


今思えばアホ極まりない。「真似=良くない」という考え自体おかしい。そんな事実どこにもない。なのに僕は、つい最近までそれを完全に信じ切っていました。「真似しなければ生きられないが、真似していては生きられない」というのは、当時の僕の理論です。

というかあの日本画家、1時間も話したくせに中身ペラッペラだったんですよね。自分の半生を語って、最近の生活の話をして、あとなんか言ってた気がするけどさっぱり記憶にない。美術の先生曰く「大学の頃はよく先生に怒られた記憶があります笑」とか、それただの頑固オヤジじゃねえかって。オーラがすごいとか、そんなの僕らの主観的感想にすぎなかったんですよね。凄い方であるのは確かなんですが、「人真似はあかんやろ」発言の真実に気づいた僕からすればあの人は別に尊敬に値する人物ではありませんね。質問コーナーの間、絵柄についての教えを貰おうかと悩んだ結果何も聞かなかったのですが、それで良かったんです。あんなご老人の言う事聞いてたら僕は今頃もっと狂ってましたよ。


ともかく、「真似はしない」「自分の絵柄を見つける」「今までにないものを創る」という考えのもと僕は歩き始めました。

さあ大迷走の始まり始まり!

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まず取り掛かったのは「今までにない絵柄」を作ること。やったことない感じの表現を思い付く限り試しました。

しかし初っ端から壁にぶち当たります。今まで描いたことのない絵柄で絵を描いても、自分がその絵柄に慣れていないからその絵柄で絵を描くことができなかったのです。

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1ヶ月経って2019年1月。ある日突然ひらめきました。

「自分の思うように描けばいいんだ。」

これが火種となったのか、僕はデジ絵初心者ながら、200いいねを超える「ぶっ飛ばす7時間目」という作品をスマホと百均タッチペンで描き上げます。

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しかし大きな波も長くは続かず、新たな疑問にぶち当たりました。

「そもそも『絵柄』って何?」

これがまたデカい壁だったんすよね。悩んで悩んで悩んで悩んで悩む日々が続きました。


いつだったか忘れましたがしばらくして自分なりの答えを見つけました。

「絵柄とは、ある絵やその人の作風に対する客観的な印象のことだ。」

これのおかげでまたなんか波が来たような気もするんですけどもう忘れました。この時期は自分にとってあまり重要な時代ではなかったようです。ただ、「絵を描く」という行為の楽しさを思い出したのはこの頃でした。

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3月の初め、ぽちさんという風景イラストレーターの方のライブペイントに行きました。初めて本物の「イラストレーター」を見た日です。世界設定や子供の頃の記憶、いろんな話を楽しそうにされていたのが印象的でした。

サインの順番が回ってきたとき、思い切って絵柄に自信がないことを相談すると、「あ、それめちゃくちゃわかります!!」と共感してくれました。それに加えて、「自分の描きたいものを自分の描きたいように描くことが大事だと思います。」と助言まで頂きました。やっぱり自分の考えは間違ってなかったんだ、という安心感と自分も将来こんな風になれたら楽しいだろうなあ…と感じたのを覚えています。


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そして、それまで知っていたイラストレーター達とは明らかに違う、とんでもない絵描きに出会ったのもこの時期です。

只野さんといいます。この方は、僕が迷走期において特に影響を受けた一人です。初めて彼女の作品を見たときはプロの方かな、と思いました。実際もう只野さんはプロと言っても過言ではない、というか立派なイラストレーターさんなのですが、衝撃だったのは彼女の当時の年齢です。

彼女はなんと僕の一つ下、中学3年生だったのです。

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信じられますか、中3ですよ。絵歴15年の高1男子ですら絵柄がどうのこうのって悩みあぐねているのに、中3の彼女はそんな問いには見向きもせず作品を創っていました。

「えぇ…この人凄すぎる…」とか思ってるうちに只野さんはネットプリントやグッズ販売で着々と商売を始めていました。

僕は圧倒的な劣等感を感じました。しかし只野さんは只野さん、僕は僕。その感情を書いたツイートが残ってました。

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今見るとけっこう恥ずかしいこと言ってますね自分笑。でもこれらの気持ちが本物であることは確かです。

只野さんには年齢という概念が存在しないかのようです。実際存在してないのかもしれません。僕もその価値観を見習いたいと思いました。だから僕は行動するなら早いうちにしようと思うのです。

まずはこの2学期中にiPad Proを購入したいです。

ちなみに只野さんの使用機材はiMac+板タブ+クリスタ(?)です。差がすげえな。



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一時的にスケッチにハマりました。

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何があったのか、この時期は1日3作品という超スピードで絵を描いてました。しかしこんなにアイデアが溢れたのは後にも先にもこの時だけでした。


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2019年5月、再び課題にぶつかります。

「昔は自分のためだけに絵を描いていた。でも今は半ばツイッターに上げるために絵を描いている。それは違うんじゃないのか。気に入られるように、いいねRTが多く貰えるように描くなんて間違いだ。自分は無意識のうちに妥協した絵を描いてしまっている。それは僕の絵じゃない。」

僕はフォロワー数というものを執拗に気にしていました。減ったら「何がいけなかったのか」と悩み、増えたら「どうすればもっと増やせるか」と悩みました。知り合いの絵描きがどんどんフォロワーを増やしているのもあって焦っていました。

でも、そんな目先の目的に囚われた創作なんて僕の求めるものではありません。この状況を変えなければならない。そう思った僕はある行動に出ました。

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5月末から6月末までの1ヶ月間、新規制作した絵を一切投稿しないと決めました。

その間、誰にも見せないという前提のもとまた絵を描きました。初めのうちは女の子が泣きそうな目で叫んでいる絵だったり、暴言の書かれた紙を持つ笑顔の女の子など、闇の深い絵ばっかり描いていました。

そしていつものようにスマホで線画を描いているとき、ふと思いました。

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「線画をアナログで描いて、それを取り込んだらもっと楽に描けるんじゃね」


僕のスマホはiPhoneSEという、iPhoneシリーズでも特にちっこいやつです。面積的にはiPhoneXの3分の2ぐらい。そんな画面でチマチマと拡大縮小を繰り返して線画を描いていたのです。家のiPadを使っていた時期もありましたが、何しろモデルが古いもんで画質悪いわすぐ落ちるわであまり有効な解決策になりませんでした。

それなら、スマホ以前の14年間主流にしてきた紙とシャーペン。これを使った方が絶対に良いと思いました。

1ヶ月後、僕は「自分のために描く」という思いと新しい制作方法を手に入れて投稿を再開しました。

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7月中旬、夏休み直前の週は怒涛の仕事絵ラッシュでめちゃくちゃ多忙でした。仕事絵といっても文化祭のしおりやら委員会やら学校関連の絵です。3、4枚ほどやりました。もちろん無償。

金が欲しい。

あまりに仕事絵しか描かなかったので、全て終えたときには趣味絵で何を描きたいのか忘れてしまうという事態に陥りました。まあそれほど大事にはなりませんでしたが。

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8月中旬、意味もなく大量にキャラを作っている時がありました。というのも、僕はキャラデザの範囲が広い漫画や絵(あらゐけいいちさん、阿部共実さん、若林稔弥さん、道満晴明さんなど)が好きだということを思い出したからです。これが結果的に今に繋がる重要な部分の一つとなりました。

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しかしその数日後。ここに来てまた迷走期です。夏休みの留学中や後にいろいろやってはみたものの、イマイチ何かが足りない感じがしていました。

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そんなときに出会ったミュージシャン達。

2人の名はTHE BINARY(バイナリー)。ちょうど今年の7月から活動を開始したところでした。僕が彼女たちの曲に出会ったときは二人合計でも4曲しか発表されていませんでしたが、僕はその1曲1曲にとても感動しました。二人の歌声の美しさ、表現力はとても心に残り、この感情をなんとか形にしたいと思いました。そして「2次創作」という手段に出ます。


僕は元来2次創作というものをあまり好んでいませんでした。自分のものじゃないキャラを描くということに意味を見出せていなかったためです。人々が2次創作をするのはそのキャラが好きだからという事はわかっていましたが、僕は漫画やアニメにも特に好きなキャラがいません。なので僕は基本1次創作でやってきました。

しかしその時はTHE BINARYという好きな歌手ができた。2次創作をしない手はありません。というわけで描き上げたのが上の2枚組。なかなかいい感じに出来たと達成感を得ると共に、僕は2次創作の利点に気付きました。

それは、もとの絵と比較しながら自分の絵柄にする事で、自分がどんな風に描くのが好きかよく分かるということです。これに気付いていればもっと早くから2次創作やってたのに…というくらいの発見でした。


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この9月に思い出したのは、僕が好きな「描き方」です。

それは、「明確な完成形を決めない」ということです。まず思い付いた場所に何か描きます。そこから発想して描きたいものを描いてどんどん絵を広げていきます。バランスを整えつつ、細かく描き込んでいきます。そして完成、というのが僕の本来の作法でした。描く前の完成像などなく、最後までどうなるかわからない。それが楽しいのです。


そしてもう一つ、最後にわかったことがあります。2018年12月に僕が掲げた創作方針の一つに「真似をしない」というのがありました。

もちろんダイスケリチャードさんの作品も「真似をしない」対象でした。これがいけなかったのです。ここで、僕の絵とダイスケさんの絵を比べてみてください。

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大きな共通点として、画面の「ゴチャゴチャ感」があります。僕がダイスケさんの絵を好きになった理由の一つがその「ゴチャゴチャ感」なのですが、それが僕の好きな描き方でもあったからでした。

つまり「ダイスケさんの真似をしない」というのは、「自分の好きな作風を封印する」というようなものだったのです。9月中頃になって、ようやくそれに気付きました。真似を恐れてはいけないのだと。あの「人真似はあかんやろ」画家にひとこと言ってやりたいですね。

「好きなんだから良いじゃねーかバカ。」


どうやらこれが最後の難関だったようです。最後の難関が最初に自分の決めた目標だったなんて、敵国の黒幕が自分の師匠だった感じですね。とにかくこれで、僕は長い長い迷走にゴールを置くことができたわけです。

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僕は個人主義者です。絵を描くときや何かを作るとき、「誰かと協力する」「誰かに助けてもらう」という考えは一切浮かびません。しかし僕一人では今の自分にはなれなかった。迷走中、いろんな人の絵を見て、考え方を自分と比べて、そして話したりした。そのみんなに感謝を伝えたい。本当にありがとうございます。


僕の絵は未熟です。考え方も未熟です。しかし未熟だからといって妥協はしたくないものですね。人間である限り誰もが未熟なので。迷走は終わりですがスタートはむしろここからです。こんな変な文ですが最後まで読んでくれてありがとうございました。それじゃまた。

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