ディレッタント精神が発展を生む

ディレッタントとは

ディレッタントという言葉がある。「楽しむ」「楽しませる」というイタリア語を語源とする語で、愛好家というか、アマチュアというか、要するに専門家の集団や業界のメインストリームに属さない、「非ドップリ系」である。

歴史上のディレッタントたち

歴史を見渡すと、ディレッタントがある分野で功績を残している例も、たくさんある。エネルギー保存の法則を発見したジュール、電動機を発明したファラデー、顎間骨を発見し、さらに色相論の分野にも名を残すゲーテ、みんな専門家集団に属さない非ドップリ系だった。ジュールはビール職人、ファラデーは製本工、ゲーテは詩人だ。ついでに言ったら、「興味のあることは?」と問われて「あらゆること」と答えたエジソンなんか、もはや何者なのかよくわからない。彼らには活力があった。ドップリ系の業界人にありがちな排他心理、用管窺点、権威偏重を持たず、マチガイを指摘されるようなことを口にする勇気や、まだ十分に吟味されていないことを発表する精神をも持っていた。ディレッタントの精神が、結果的に発展につながった。

妨害者はどこにでもいる

少しでも新しいアイデアを発信しようとすると、必ずと言っていいほど、「高く安全なところから批判をしてくる妨害者」と遭遇する。ぼく自身に限った話じゃなくて、ほんとよくある。そういう、作法を知らない批判をひとつひとつおそれているとキリがないし、活力を削がれてしまうのは率直に言って勿体ない。アイデアが不完全なのはたしかかもしれないけど、かと言って、権威あるだとか、矛盾も不合理もなくだとか、誰かの後追いではないだとか、そういう消去法で絞りに絞った残滓のようなアイデアが、何らかの領域で大きく発展に寄与することはまずない。

ディレッタントの精神を持つ

ぼくは、じぶんがプロであろうとアマチュアであろうと(実際がディレッタントであろうとなかろうと)、このディレッタントの<精神>を大切にしていたい。未知のアイデアを展開する勇気、証拠不十分な事実を報告する勇気、常識外のプロセスを描写する勇気を持つという、このディレッタントの精神が発展を生む。歴史がそれを証明している。完全無欠のアイデアとか、たぶんそんなものには一生かかったってたどりつけない。たとえすぐに自分のアイデアが淘汰されるハメになろうと、あとの人たちが「肩を借りるぜ」と言って跳躍していけるような踏み台になれればそれはそれで名誉なこと。また、それが生きた痕跡を残す、ということなのである。

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