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『漣の王国』とジハード

『漣の王国』という本が面白い。

「ミステリなのか純文なのかよくわからない系」という僕が一番好きなジャンルだ。

特に文章が綺麗だ。
「美しい日本語」ってこういうことだなって思う本だ。

で、この本の中に「ジハード」という言葉が出てきた。

僕はジハードって「聖戦」って訳されるのだと思っていて

「あぁ、ジハードってあれでしょ?聖戦でしょ?宗教戦争てきなヤツでしょ?物騒な話だぜ」

ぐらいのいい加減な理解だったのだけど、どうやらジハードの本当の意味は

「神のために努力すること」

らしい。

特に『漣の王国』の中では「最大の努力」と説明される。
ただの努力ではない。最大の努力だ。

「ジハードは本来、最大の努力という意味です。他者と戦うことではなく、自分自身と戦うこと。自分を正しく作り上げる行為こそが、真のジハードなのです。」

漣の王国

そう語るのは(おそらく)イスラム教徒のライラだ。
(ちなみにライラは日本に来て医学を学んでいる)
その友人の朝子は、ストイックなライラの姿勢に憧れを抱く。

さっき垣間見たライラの祈禱のごとく、日々無心に、懸命に打ち込める習慣が、自分にも何かないものだろうか。信仰でなくてもいいのだ。崇高な行為でなくてもいい。ただ、どれほど内面が荒廃している時も、どれほど自分が無価値に思える時も、精神の状態とは一切関係なしに、ひたすら重ね続けていける強靭な日課。そういうものが何か欲しい。朝に夕にひたすら反復することで、魂を整え、わたしを少しだけましなものに変えていく、ささやかな修練(トレーニング)、わたしだけのジハード。

漣の王国

朝子は自分だったのかと思うほど共感した。

僕は本当に気分屋でムラッ気があって物事が続かないタイプだ。
(多分短気だし、いい加減で、基本的になにごとも斜に構えて軽く見る嫌なヤツだ)
僕の友人にひとり、筋トレとか勉強とかを本当に毎日コンスタントに淡々と続けられる人がいて、もう羨望とか憧憬とか通り越して妖怪の類として見ていた。

人は自分と離れているものにほど憧れを抱くものだというけれど、ライラのストイックさは本当に僕の理想だ。こうなりたい。

「正しく自分を作り上げる」

という表現もいい。

僕が専門として扱う「学習」という行為も、いわば自分を作り上げる(あるいは作り変える)行為だ。
だから本来僕はライラみたいに正しく自分を作り上げることを続けるべきだし、そういう姿を生徒に見せるべきだと本当に心から思う。

だから僕も強靭な日課が欲しい。

でも残念ながら僕はそういうストイックなタイプではない。
代わりに短期的な爆発力みたいなものは持っているし、実は指導者として

「いや、続かないよね。サボっちゃうよね。」
っていう一面を本音として生徒に見せられることも大事だなって思ってたりもする。
正論ばかりだと生徒を圧迫してしまう。
「そういう自分の性質を上手くコントロールして活かすのも、技術だよ」
なんて偉そうなことを言ったりもする。

そんな自己正当化と、ストイックさへの憧憬に日々揺れ動いていているのだけど、この本を読んだ今はストイックさの方にぐーんと針が振れている。

とりあえず
「毎日問題集を解く」
はどうだろうかと思っている。数学か、英語か、物理か…、何か淡々とできるものがいい。
駆け出しのころは本当に自分でも引くぐらいこういう努力を毎日やっていて、そのころに鍛えた足腰が今の指導者スキルの下支えになっていることは間違いない。これは効く。本当に。

ところで、今僕は『ロックマン』というかつて遊んだゲームがPCでできると聞いてすごくDLしたい気分なんだけど、どうしようか。
ちなみに2時間後にはリヴァプールという応援しているサッカークラブの試合がある。これは見る。確定だ。

まぁ普通に考えればいったん問題集を解いて、残った時間でロックマンをDLして遊べばいいのだけど。

うーん。

やっぱライラすごいなって思う。

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