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学習法を伝えるということ

指導の向上に行き詰まってくると、いつも駆られる誘惑がある。

それは

学習法を言葉で伝える

ということ。

「正しい学習法はこうだよ」
ということを文章としてまとめて、生徒に渡す。

あるいは学習法の授業とでも銘打って60分ぐらいで守るべき主原則ぐらい網羅的に教えてしまう。

それは何度もトライして、その度に無意味さを痛感してきたことだ。

世の中には学習法の本がたくさんある。
ウェブサイトもある。YouTube動画もある。

もし学習法を言葉として伝えることで生徒たちが成長できるのであれば、なぜこれだけ情報に溢れた世界でそれが実現できていないのか?

本や動画に載っている学習法が間違っていたり、不完全だったりするからか?

そんなことはない。
たまにものすごく胡散臭かったり、どう考えても非科学的な精神論にしか見えないものもあるけれど、素晴らしい内容のものもたくさんある。
僕自身いまだにそれらから学んだりもしている。

学習法はスキルだ。
スポーツのスキルと同じ。

僕の好きなサッカーで言えば
本を読めば次の瞬間正しいフォームでキックできるか?
動画を見れば正しいフォームでドリブルできるか?
ということに近い。

キックはキックを教わることで上手くなるのではない。
キック練習をすることで上手くなるのだ。

つまり、言語化された情報の伝達ではない。
そこからもうひとつ進めて、体験化された情報の獲得でなければならない。

例えば
計画の立て方を言葉として教えるのではなく、実際に計画を立ててもらう。
その体験の中でアドバイスをしていく。
記憶の仕方という講義をするのではなく、何かの記憶素材を実際に生徒に覚えてもらう。どうやって覚えたか、何を意識していたかヒアリングしながら修正していく。

このような体験の中でのみ、学習法は習得できるんだと思う。

スポーツがそうであるように。
スポーツだけじゃない、音楽でも書道でも、仕事でもそうだ。
教わることによって習得できるものなんて一つもない。

なぜか勉強だけが言葉による情報伝達によって習得できると誤解されがちだし、
自分自身、そう思ってしまいがちだ。

勉強もスポーツのようにあるべきだ。

もちろん言葉による伝達もあっていい。
上達のきっかけになることは多いだろう。
でもそれは決してメインにはならない。

「どんなトレーニング(つまり体験)をすれば習得できるか」
スポーツのコーチやトレーナーはそれを考えるはずだ。

学習法を言語化し、さらに体験化すること。

道を逸れそうになったらこの原則に立ち返るべき。

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