先輩と恋愛で踏める韻
はじめに
note記事に「もしこの世界に同志がいるというのなら、精一杯足掻いてやろうじゃないか」という名言を残したことで有名な先輩と別れてから、もうすぐ2年が経過する。時の流れは早い。
本記事では、過去の恋愛について、先輩との別れを中心に少しだけ述べる。「過去のネチネチとした恋愛話とか読みたくねえよ」という人や、「面白くないnote記事なんかいらないよ」という人、個人でロゴを所有している人は、ここで読むのをやめてほしい。
あなたたちに私からこれ以上話すことはありません。別れましょう。さようなら。
別れ
別れのLINEが送られてきたとき、私は親友とお泊まり会をしていた。親友である彼は、泣き面でLINEと向き合う私に対して、「泣くのもいいんだけどさ、返信考えようよ返信。いちばん面白い返信。俺はもう3つ思いついたぞ」と言ってくれた。
彼の存在に救われた。独りでは耐えられなかっただろう。本当に感謝している。
少し相談した後、スタンプを送信。ご飯を食べてプリクラを撮ろうという話になり、名古屋のイオンへと向かった。彼と食べたハンバーグは、今まで食べてきたハンバーグのなかで、いちばん美味しく感じられた。
送ったスタンプは、この後1年近く擦り続けることになった。
別れてから2ヶ月ほど。この辺りから相手のTwitter上で、「あの人」、「例の人」として間接的に言及されることが増えた。あまりいい気はしなかったが、こちらも一発ネタとして擦り続けていたから、遠目に見たら同じようなものだった。
当時のTwitterにはTwitterサークルという、指定したアカウントにのみ自分の投稿を表示させる機能があった。もちろん先輩のTwitterサークルには入っておらず、見えないが増えている投稿数に怯える日々を過ごしていた。緑色が少し嫌いになった。
最近、サブアカウントにログインしたら、先輩からブロックされていた。またなにか言われているのだろうか。言っていたら面白い。見えないところで、一生グチグチ言い続けてほしい。あなたがグチグチ言っている間に、近くの海から新鮮なグチがとれ、そのグチたちが職人によって加工され、おいしいちくわになります。
恋愛と現在で踏める韻
別れてから立ち直るまでにかなりの時間を要した。その間、多くの友人や仲間に助けられてきたことは言うまでもない。ありがとう。
もう、宅飲みの度にみかんのお酒を買ったり、豊橋市へ入った時に身震いをしたりする必要はないのだ。私は解放された。
おわりに
「鉛は金に変わらない」という言葉がある。本物に見える金の塊も、地金が鉛では決して本物とは言えないという意味。ある企業の基本精神としても採用されているらしい。
鉛の恋を、金の恋に変えることはできない。辛いものは辛い。いままではずっと、鉛の恋を抱えて苦しんでいた。その鉛を、note記事の形にして、解放することができた。少し、体が軽くなった。
……私は新しく純金の恋をしている。
以上。ここまで読んでいただきありがとうございました。私からこれ以上話すことはありません。次の記事まで別れましょう。さようなら。
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