Shunsuke Takagi

37歳、大学院生。横浜生まれ、横浜育ち。途中ちょっとテキサス州ダラス。元私立中高の英語…

Shunsuke Takagi

37歳、大学院生。横浜生まれ、横浜育ち。途中ちょっとテキサス州ダラス。元私立中高の英語教員で、2児の父です。2019年7月から2年間の予定でオーストラリアのメルボルンに留学をしています。専攻は教育学で、学びのアセスメントとフィードバックに関心あり。意見はあくまで個人の見解です。

最近の記事

留学準備、開始。

2016年の1月に留学することを決意した僕は、2019年に渡航することを決めました。当時の僕は30代も半ばに入りつつある頃。家族のタイミングを考えてもそれほど悠長なことは言っていられません。そして時間が経てば経つほど、残念ながら当初の志は失われてしまいます。仕事的にも諸々がひと段落する、僕にとってギリギリのタイミングでした。 2019年に渡航するならば、例外はあれど原則的に2018年中に出願することになります。つまり、決意してから2年ほどの時間を準備に割くことができました。

    • 思うは招く

      タイトルは植松努さんのTEDトークから。 僕の留学準備中、指針にしてきたお話です。結構キツかったときもあったのですが、僕の人生のアンセムであるMr. Childrenの「終わりなき旅」、Dreams Come Trueの「何度でも」などと並んで(笑)、自分を奮い立たせるための応援ソングかの如く、何度も聴いて(見て)いました。 留学準備を通じて僕が本当に幸運だったのは、周りに「どーせ無理」と言う人がただ1人もいなかったこと。 一つ前の投稿で、体を壊してしまったことが留学を

      • 僕が留学した理由

        一つ前の記事にも書いた通り、僕は今37歳。同い年の妻と2人の子供(8歳男、5歳女)がいます。 教員としては13年目を終えて、現役バリバリ。生徒や同僚、保護者との関係にも恵まれ、毎日毎日教室へ行くのが本当に楽しくて仕方がありませんでした。勢いだけで押していた感のある二十代の頃と違って少しずつ余裕もでき、手探りは続きながらも、ある程度確信を持って仕事ができるようになっていました。 そんな僕が仕事を辞めて、家まで売って、家族を巻き込んでオーストラリアへ留学することにしたのはそも

        • Hello from Down Under

          4年ほど前に留学することを決意したとき、まさか東京でオリンピックが開催される年の始めを、家族と一緒にメルボルンで学生として迎えるなんて想像すらしていませんでした。 37歳、元教員。13年間とちょっと、中高生に英語を教えてきましたが、家を売って、家族を連れて、オーストラリアへ飛んでみました。 僕は留学の専門家ではありませんし、高尚な考えなど持ち合わせていませんが、もしかしたら僕が働きながら留学準備をしたり、こちらでの大学院生活で踠いた経験が、いつかどこかで誰かの助けになるか

        留学準備、開始。