仮題:グレーな人間のせめてもの主張 3章 僕の生い立ち

3.小学校の中学年
 こうして、小学校の低学年の頃が過ぎて、小学校3年になることになりました。初めてクラス替えが行われて、1、2年の頃の友達とはまた別のクラスになったことに、幼稚園から小学校にあがる時の一抹の寂しさを感じたことも覚えています。人は一生のうちにこんなことを何度となく繰り返すのだとはこの頃はまだ当然分かるはずもなく・・・。
しかし、また新しいクラスに友達ができてまた新たなふれあいが始まるのでした。そして、担任の先生もかわり、今度は当時40代くらいの男の先生でした。1、2年の担任の先生とはまた異なるタイプでしたが、やはり優しく僕たちを見守って指導をしてくれたことを思い出します。
1、2年の頃に流行していたビックリマンシールのブームはそろそろ3年くらいになると一段落しつつありましたが、まだまだ食玩シールの流行は続き、この頃はそうした食玩シールブームや、またSDガンダムのカードダスなどを集めたことも覚えています。ビックリマンの流れから覚えているものだと、タイムスリップバトルやドキドキ学園、ネクロスの要塞などをお菓子を買いつつ、シールなどを集めたことを覚えています。また、この頃になるとゾイドとあわせてミニ四駆が流行していたことを思い出します。そして、その流行の中心になっていたのがコロコロコミックでした。小学館の学年雑誌を読んでいた僕はコロコロコミックは書店で読んだり、友達に読ませてもらったりすることが多かったですが、気に入ったマンガや特集などを熱中して読んだことをよく思い出します。この頃に、リアルタイムとしては初めての仮面ライダーシリーズの「仮面ライダーBLACK」の放送が始まり、ずっと視聴を続けていたスーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズとあわせて夢中でみたことを覚えています。また、この頃にはちょうど「霊幻道士」「幽幻道士」などの香港・台湾映画から、キョンシーブームでもありました。私と同世代の皆さんは、キョンシーと聞き懐かしさを感じるでしょうし、最初に感じた身近な中国人のイメージがこれらの作品に登場したヒロインのテンテンや、もう少し後の時代になりますが、対戦格闘ゲームのヒロインの春麗である方も多いのではないかとも考えます。この頃は、周囲はドラゴンクエストなどRPGゲームも盛り上がっていたのですが、低学年の頃に書いたように私はゲーム機は与えてもらえず、「ドラゴンクエスト」も「ファイナルファンタジー」も、友達の家でやっているのをみているようなことしかできませんでした。また、全くみたり読んだりしなかった訳ではなかったのですが、私はそれほどは「ドラゴンボール」は夢中になりませんでした。しかし、ジャンプの漫画には全くふれないということもなく、「まじかる☆タルるートくん」は好きでよく読んでいましたし。登場するキャラクターの大綾真理先生が子ども心にお気に入りでした(笑)。そして、この頃から周囲はお笑いコンビのとんねるずの番組に夢中になり始めました。9時過ぎの番組だったのであまりみせてはもらえませんでしたが、私は、特撮ヒーローが好きだったので、彼らの仮面ライダーのパロディの「仮面ノリダー」は時々楽しんでみました。
 そして、それまでは祖父母の家にお盆や年末年始に泊まりに行っていたのですがこの頃から泊まらなくなったことも覚えています。最後に父方の祖父母の家に泊まったのがこの頃で、その時にゾイドのゴジラのリスペクトの「ゾイドゴジュラスMarkⅡ量産型」を買ってもらったことや、様々な本を買ってもらったこと、亡くなった祖父が僕のために線香花火を用意してくれたことなどもかけがえのない思い出としてあります。
 また、ゲーム機には厳しかった私の両親でしたが、周囲がゲームボーイを買うのをみて遂に私にゲームボーイを買ってくれました。現在でも新しいハードが出るとそうですが、発売当初は品薄で、なかなか手に入らなかったので、祖父母が様々に探してくれたことも覚えています。最初に買ったのはスクウェアの「魔界塔士SAGA」という当時のファイナルファンタジーの流れのRPGゲームでした。こうして、周囲とゲームの話にようやくはいっていくことができて、様々に過ごした思い出を今また様々に思い出します。そして、この頃に、テレビやビデオで自分より前の世代のゴジラシリーズやガメラシリーズ、「ウルトラQ」などをみたことも覚えています。とくに、こうしたジャンルの原点でもある最初の「ゴジラ」をみて強い衝撃を受けたことは現在でも鮮明に思い出します。

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