題:グレーな人間のせめてもの主張  作者:あぶくま川太郎

1章 ロスジェネと非正規雇用のスパイラル
2章 何ものにもなれないことの苦しみ
1章 ロスジェネと非正規雇用のスパイラル                            
皆さん、はじめまして。僕はあぶくま川太郎と申します。一応、学校の教員をしていました。
しかし、非正規雇用です。担任などの仕事を任されることはなく、来年のこともわからないのです。大学院を出て、来年で十ウン年が経ちます。
 今年も教員採用試験に不合格でした。僕の場合、一次はしばしば通るのですが、二次試験でいつも不合格になってしまうのです。二次試験でいつも面接で厳しい評価がついてしまいます。
ずっと、転職を考えてもきましたが、そんな簡単に転職というものもできるものじゃないです。
どの職種でも、正規雇用と非正規雇用の問題は現在日本社会の抱える大きな問題点と言えそうです。周囲を見渡すと色んな人がもう同年代には数多くいます。 私たちの両親くらいの世代であれば、結婚して育児に、仕事では中間管理職としてバリバリ、ということが当たり前であったはずの年齢にも関わらず、独身で非正規雇用です。
 結婚もしたかったし、子どももほしかったのですが、残念ながら叶わない一生になりつつあります。そうこうしているうちに、来年は40代です。ますます雇用と今後の生活への不安が正直に言って増しています。
僕の経歴は今はふせますが、いわゆるロストジェネレーション世代です。僕らの世代が、大学を卒業する頃は、就職が難しい時で、その影響で今でも雇用が安定せずに、正社員になることもできず、また転職することもままならずに、非正規で働くことを余儀なくされているような人たちは職種を問わずに数多くいます。僕もそんな今の日本の色々な場所にいる人間の一人です。また、後に詳しく書きますが、学校教育にたずさわる中で知ったことですが、僕はどうやら発達障がいのような傾向が強くあるものの診断名はつかないグレーゾーンにいるようです。こうした点もまた、生きづらさに拍車をかけているのかもしれないです。 そんな人たちを代表するなどと言うことはとてもおこがましいですが、様々なことをせめて死ぬ前にいろいろと叫んでみたいとこの数年は切に願っています。
できれば、著作という形で今の日本の片隅に生きていたし、人並みの幸せを望んでいたけれどそれを果たせずにこの世を去っていくことになるかもしれず、そしてまた、何事を成し遂げるだけの才覚には欠けているしょうもない人間の戯言を示したいです・・・・。

2章 何ものにもなれないことの苦しみ
 僕は、学校教育を通じて、発達障害などについて知ったりしたことなどを通じて特別支援教育に関心を持つようになりました。そうするまでには様々な経緯があったのですが、発達障害があることをカミングアウトして学校教育にたずさわっておられるゴトウサンパチさんの著作などを読んだこともきっかけの一つです。
 僕は学校で様々な生徒とふれあったり、同僚の先生方と働くことをしてきましたが、そうした中で自分自身にしばしば取りざたされるASDなどのような傾向を強く自覚するようになりました。僕は、だからなのかそうした傾向を持っている生徒たちにはとても慕われるようなこともあったし、悩み相談などをしてあげたこともありました。しかし、反面で「空気が読めない」ということやまた「独特のコミュニケーションをしようとする」などと言われることもあり、人間関係などでとても厳しい言葉を受けてしまうこともありました。「それならば、診断を受けて療育するべきではないのですか。」という言葉をかけてきた同僚の先生もいました。
 もちろん、何度か考えたこともあります。しかし、医師に相談したこともあったし、ゴトウサンパチさんも著作で書いておられますが、診断名がつくことにはリスクもあるのです。あまり、望ましいことでは本来はないのでしょうが、学校の教員の中にも差別心などを隠さずに出すような方も正直に告白するとおられることが現実です。支援学級にたずさわっていた同僚の先生から、「貴方がいると生徒が増えてしまう」と言われて愕然としたことを覚えています。学校教育においてもこれが現状なのであるから、他の仕事ならば正直なところここに書くことすらきついような言葉をあびせられることも今までくりかえしありました。
また、姫野桂さんの著書で知ったことですが、「グレーゾーン」というタイプの方々もおられるようです。このタイプは傾向はあるけれど、診断名がつくことはないために、周囲から誤解されたりなどすることもあるということです。僕は傾向は強くあるけれど、診断名がつくことはありません。こうした立ち位置であるがゆえの苦しみがあると感じています。
 それは、「何ものにもなることのできない苦しみ」です。
僕は、書いたとおりに傍目からみれば率直にいえば「どこにでもいるアラフォー男性」「まともな就職もできずにフラフラしている中年のオジサン」です。

そうみられて仕方ないことも理解しています。しかし、僕が社会人になるゼロ年代は本当に就職が難しかったのです。大学の卒業時から、高校の国語教員になることを視野にいれていました。しかし当時は、教員採用試験は本当になかなか合格できませんでした。あの頃は、何年か非正規でもずっと受ていればいつかは・・・のように安易に考えてしまったような面もあったし、他の職種も受けてみたのですが、やはり採用されることはありませんでした。私立や公立を問わず、講師など学校で働くことをずっとして、今でも教員採用試験を受けています。しかし、なかなか合格できません。転職しようとして、他の職種も何度も受けたこともあります。しかし、若いころならともかく、やはりある程度の年齢になると転職すらかなり難しいことも確かです。
 教員採用試験も含めて、発達障害の認定を受けてその枠で就職するべきであるかともこの数年悩んでいます。しかし、傾向はあるけれど診断名がつかないグレーゾーンであるならばそれが難しい場合もあるでしょうし、診断名がついてそれをカミングアウトして活動していた方の中にも、残念な結果を迎えてしまった事例も存在します。
 僕も、正式に採用されて働きたいし、本を出したり、テレビに出たりして活動してみたいと願っています。
 しかし、そうするだけの才覚や運や機会などにはなかなか恵まれずにいる現状があります。
 ゴトウサンパチさんや、瑠璃真依子さんのように著作活動をしてみたいですが、診断を受けて出版するような機会には恵まれません。
 神山忠さんやように、教員採用試験に合格して、その上で周囲に理解を求めてみたいと考えていましたが、それも難しいです。
 乙武さんのように、映画を作ったりなどしてみたいのですが、そのような才覚にも恵まれていません。
 僕は、何かを成し遂げるには才覚や運などに乏しく、ただ現実に絶望して生きることしかできずにいます。

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