文章を理解するということについて
Books&Appsの記事より
「本を読むのが苦手」な人は、これからとても不利な状況になるかもしれない。
https://blog.tinect.jp/?p=34535
言葉の意味について、私は非常に気にしている。
その言葉はどういった意味で使われているのだろうか。と。
文章を読めない人がいるというのはなんとなく感じている。
これまでもたくさんの文章の読めない人、文章の意味を受け取れない人を見てきた。
塾講師をしていたことがあった。
中学生の授業を担当していた。
「国語ができる子の成績を伸ばすのは簡単だが、国語ができない子の成績を伸ばすのはかなりの長期戦を覚悟しなければならない」
これは実感として覚えている。
数学も理科も問題は文章で書かれているのだ。
そもそもに何を問われているのかさえわかっていない子が多くいた。
本当に驚くほどに。
仕事で電話を好む人には、メールは伝達される情報量が少ないという理由を挙げる人も多い。
電話もメールもそれぞれにメリットがあるのだが、情報量という面では音声には感情が現れやすいくらいで、仕事に必要な情報は十分に伝えることは可能だと思う。
だが、同じ文章を読んでも得られる情報量は人によって違う。
メールが2通で終わることもあれば、10通かかることもある。
書き手の問題もあるし、読み手の問題もある。
同じメールを受け取って「あぁ、その返信だとまた同じことを聞かれるよ」と思うようなメールのやり取りが続いているのをしばしば目にする。
文章が読めるというのは、国語の授業やるような音読ができるという能力ではなくて、相手の伝えたいことを理解するということなのだと思う。
日本の識字率は99%程度と非常に高いが、識字率が高くても文章を読めるかどうかは別の問題なのかもしれない。
文字が読めても意味がわからなければコミュニケーションにはならない。
誰もいない森の中で木が倒れたときに、木は音を出したのか?
この問いと同じなのかもしれない。
塾講師をやっていたとき、毎晩、校長先生とご飯を食べながら、勉強のできない子どもたちが勉強ができるようになるにはどうすればいいかを議論していた。
いつもたどり着いていた結論は、家庭環境によって学力は大きく左右されるということだった。
塾に来るということは、家庭と学校の勉強で十分な結果を出せていないからなのだと。
学校の勉強も大事だけど、やはり一番大きな割合を占めるのは家庭なのだと、今でも思っている。
書きたいことが何なのかわからなくなってきたけれど、先日、知識人として信頼している友人と一致した意見があった。
国語の問題は誰が採点するかを考えれば最適な答えを導くことができる。
学生の時には、同じ学校だが彼とは話したことはなかった。
けれど全く同じ解き方をしていたらしい。
文章を理解するのは人によって理解の仕方が違う。
人は自分で選んで情報を受取るから。
だから私達は、採点する人が求めている文章の理解の仕方を求めた。
相手の立場になって考える
よく大事だと言われるけど、そんなことは本当に難しいことだ。
相手の考えていることなんてわかるわけがない。
だが、相手の状況を考えて、相手が何を求めているのかを考えることは、相手を理解するための手段で入り口だ。
文章を理解するには、まずは相手を知ろうという興味がないといけないのかもしれない。
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