憲政史上最悪の宰相・安保晋五③終わりのはじまり

「…毛利さん」
都内の自宅マンションに入ろうとした毛利正義は呼び止められた。毛利が振り向くとレクサスからひとりの男が降り立った。週刊文藝の新屋編集長だった。
「こんな遅くに、何の御用でしょうか」
毛利は、右手首にはめたグランドセイコーを確認した…午後11時半。
「今週、黒沢検事長のネタを打ちます」
「ネタは?」
「検察庁詰め記者との常習的な賭け麻雀です」
「!!!」
煙草を1本振りだして口に咥えたが、路上喫煙禁止エリアであることを思い出し、毛利は手にしたデュポンで点火するのは踏みとどまった。疑問を口にする。
「黒沢には当てたのか」
頷く新屋…つい先ほど、とだけ言い添える。
「なぜ今日だったのだ。お宅は木曜日発売のはずだ。直当たりは火曜ないし水曜でも間に合ったはずだ」
毛利がこう云うのには、理由があった。明日月曜日、検察庁法改正案を衆議院内閣委員会で、野党や世論の圧倒的多数の反対を押し切り、安保内閣は強行可決に持ち込む肚だった。そもそも今年1月、黒沢検事長の定年を2月から8月まで半年間延長した閣議決定自体が検察庁法違反だった訳だが、もし、こんな違法な閣議決定を後づけで正当化するための法改正を内閣委員会で強行可決したのち、黒沢の賭け麻雀ネタを打たれれば、間違いなく内閣は吹き飛んだだろう。週刊文藝が安保政権へのダメージを最大にしたければ、明日月曜日をやり過ごすだけで事足りた。
結局のところ、最後の最後で政権に日和ったのだ。
毛利は咥えていた煙草を握りつぶしてジャケットのポケットに仕舞うと、代わりにスマートフォンを取り出した。一刻も早く、安保に明日の…スマートフォンの表示ではすでに午前零時を回っていた…もとい今日の強行可決を思いとどまるよう進言せねばならない。
感謝する…新屋を見向きもせずにそう云い捨てると、毛利はマンション内へと突き進んでいった。 つづく

この物語は、フィクションです。