反転術式と閉じない領域について考察

○反転術式考察
反転術式:肉体の損傷を呪力を用いて治療する技術。
負のエネルギーに負のエネルギーを…の下りは難しくてよくわからんです。
ただ、私が気づいたのは、

「作者は反転術式のアイデアについて、サイコセラピー(心理療法)から着想を得たのではないか」

ということです。

「”サイコセラピー(心の傷を癒す)”と”反転術式(肉体の傷を癒す)”に何の関係があんねん」

というツッコミが聞こえてきそうですが一応根拠はあります。

<根拠①>
羂索が言うには、「魂は肉体であり肉体は魂である」とのことなので、作品内においては「魂を癒すということは肉体を癒すこととイコールである」と解釈しても筋は通ると考えます。

<根拠②>
そして鹿紫雲が「反転術式は頭で回す」と明言しています。サイコセラピーにおいて代表的なものが認知行動療法です。過去のトラウマなどについて、ロジックを駆使して新しい解釈を生み出すことによってストレスを和らげることで知られています。つまり反転術式とサイコセラピーは頭(頭脳)を使って傷を癒すという点で共通しています。

この二つの根拠から導き出せる仮説が、冒頭に書いた「作者は反転術式のアイデアについて、サイコセラピー(心理療法)から着想を得たのではないか」ということです。肉体の再生とトラウマからの回復を混同したのはやはりそちらの方が映えるからでしょう。

<他人の治療>
他人を反転術式で治すのは自分を治すよりもさらに高度な技術であり、使えるのが明らかになっているのは今のところ乙骨・家入そして宿儺の3人だけです。
何故難しいのかを上に書いた仮説に基づいて考えるなら、他人の心の傷を癒すのが大変難しいことだからではないかと考えます。一朝一夕にはいきませんし、下手をすると余計傷が深くなりかねませんので、高度な技術だということでしょう。
ただ、前の二人はなんか癒し系な雰囲気がありますが宿儺はそれどころではないですね(笑)それなのになぜ他人を癒すなんて芸当ができるのか、それは「他人を壊すことに精通していく過程で治し方も自然に把握した」と考えても差し支えないと思います。人肉も食べてますし。


○閉じない領域考察
宿儺と羂索は「閉じない領域展開」を使用できます。他の領域使いと比べてこの二人は何が違うのか、それは、

「完全に自由(傲慢)である」

ということではないかと思います。他の領域使い達は全員が善悪の価値観やコンプレックスに縛られています。呪術師は作品的に警察の立場、つまり善の側であるので善悪の価値観を捨てることはないでしょうし、呪霊はそもそも「呪い」というある種のコンプレックスが存在の根幹なのでコンプレックスから自由になることは不可能でしょう。
ただこれらの前提に立つと呪詛師もたいがい自由で傲慢ですが、単純に実力不足である、と片付けてもいいかと思います。領域展開自体がハイエンドな技術ですし。


<オマケ:五条悟>
反転術式と閉じない領域について書きましたが、五条はあれほど万能でありながら他人を治すことと閉じない領域は会得していません。それらの理由を上2つの考察に基づき一言で表すと、

「性根がクソだが悪人ではない」

からだと考えています。
今でこそ教師としての振る舞いを身に着けている…と言うよりも、教師となった今でさえ性格の悪さが滲み出ています。そんな五条にとっては、教師として生徒を導く技術を身に着けた今でも、他人の心を癒すというのは根っこの部分で苦手なのかもしれません。そして悪人でないのは言うまでもありませんが、もしかしたら若い頃であれば閉じない領域は会得できたかもしれません。もちろん高専からの出奔と呪詛師落ちがセットですが。

ここまで読んでいただき誠にありがとうございます!


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