大人になるということ

「10代・女性」

アンケートに答えるときの私の肩書きだ。

10代は幅広い。小学4年生~大学2年生(あるいは専門とか社会人とか)を一括りにしている。
大学2年生になって、周りが10代から卒業する姿を見送った。そして明日は遂に私が卒業する番である。

ワインを入れずにボロネーゼを作り、その美味しさに料理の才能があると盛大に勘違いするような自分が、成人。
正直実感はまるでない。

成人式に行く予定は元々なかったので、開催が延期になっても平気だった。
しかしテレビで見る"同級生"がその延期や自粛を嘆く姿を見て、私は成人としての自覚が足りないんじゃないか、と不安になった。
そしてそれは現在まで続いている。

成人したとて私が目に見えて感じるものは、アルバイト帰りにお酒が買えるようになることや、Twitterのbio欄に 20↑ もしくは 成人済 と表記出来るようになることのような、些細な変化だろう。

結局19歳から20歳への変化は、15歳が16歳になる変化となにも変わらない。

それでも法律上は多大な変化だ。
20歳になったら人を殺したら送られるのは少年院ではなく刑務所。年金を払う。あとは大人ってなにをしているんだろう。
義務教育で教わった覚えがない。

私の精神は中学生の頃からなにも変わっていないような気がしてならない。
(それでもこの前高校の友人が「大学生になってちゃんと変われている」と言ってくれたのは嬉しかった。)



不安だ。この先生きていけるのかがただただ不安だ。なにより、特に生きたい理由がないことが一番の不安だ。

10代のうちにやっておきたかったことは2つ。
接客業の克服と、心の狭さの克服。

接客業はいつまでも慣れなかった。私は人と話すことは全然嫌いではない。しかしバイト後は心の疲弊がとんでもなかった。

大学も授業を受けるのは苦痛でないが、友人と過ごす休み時間がストレス。自粛中多くの人が友人と会えないことに心を病んだというが、おそらく私はその大多数にあてはまらない。

社会に出る上で必須なコミュニケーション能力がないという訳ではない。ただ耐性がない。大問題である。


もうひとつの心の狭さというのは書いて字のごとくだ。
今朝私の一番の友人と喧嘩をした。私が嫌なことを言ったからだ。しかし私は、今後その嫌なことを言わないということを全く約束できなかった。私が言った嫌なことは、私が感じた嫌なことでもあったから。

電話を切られる前に投げつけられた「なにそれ」が鼓膜から離れない。これをテーマにいつか小説書いてやろうとすら思っている。

心が狭いというよりか、ただ単に性格が悪いだけだった……。
(きっと今日の夜迎える誕生日は祝ってもらえないのだろう。これぞ自業自得だ。)


ともかく、私はこんな状態で『成人』と扱われることが酷く不安で怖い。
小さい頃は早く大人になりたいなんて抜かしていた。大人になれば1人でも平気だと、生きていけると思っていた。

しかしそれは自然とそうなるのではなくて、個々人が掴み取った特別な権利だったということが、ようやく最近わかったのだった。

そしてその権利を持たずとも、社会に放られる。
私の嫌いな大人は、みんな実はすごいらしい。

どんな大人になりたいかと問われたら、キャリアウーマンになって大金を稼ぎたいと答える他ない。
ブラインドタッチを信じられないスピードで打てるようになりたい。
綺麗な敬語がすっと出るような人になりたい。


あやふやであいまいだ。それでも今はそれでいい気がする。

私のなりたい大人像を見つけられるまで、それでいいと思っている。もう少しだけモラトリアムに身を寄せていたい。

あまちゃんと言われても仕方がない。だってその通りなのだから。


そんなことを考えながら今日もアルバイトに勤しむ。
電車を降りた。

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