つながりあう「点と線」
みなとまちのうたプロジェクト
鍵盤楽器と声を用いたアンサンブルユニットのmica+hachi。「みなとまちのうた」をテーマにした彼女たちの楽曲制作過程を音と文字で綴ります。最終回となる今回には、ついに彼女たちのつくった「みなとまちのうた」が登場。
聞き手は、港まちづくり協議会の古橋、アッセンブリッジ・ナゴヤ(以下:アッセンブリッジ)音楽プログラムディレクターの岩田、アシスタントの了徳寺でお送りします。
第1回:はじまりのオトケシキ はこちらから
第2回:その音楽はどんなカタチで届くのか? はこちらから
第3回:みんなが口ずさめるようなきっかけを はこちらから
第4回:うたは生まれて育つものー変わらない1日のはじまり はこちらから
第5回 : つながりあう「点と線」
「点と線」から描けたこと
古橋
なんか今までとは違うって言うか…。でも、違うと言いながら違わないような気もするというか…。ごめんなさい、うまく言えてませんね。
岩田
うん。でも、確かに今までとタイプが違いますよね。これはどうやって録音したんですか。
mica
私のDTM(:Desk Top Music)のステーションをベースにして、シーケンサーで組んでいます。そこに生楽器の鍵盤ハーモニカのリフや、私たちの声を重ねたりしています。今回一緒に作業したのは一度だけですね。hachiさんには、そのセッションのあとでストリングス(:弦楽器)を加えてもらってます。それからミックスの作業をしながらアレンジも再度構築して…という感じで作業をしました。
岩田
なるほど、前回の「変わらない1日」みたいなアコースティックの楽器を重ねるばかりじゃないやり方なんですね。ストリングスも打ち込み(:PCで作成する音源)ですよね。
mica
そうです。そうです。打ち込みです。今回入れ込んでいる生楽器は、歌と鍵盤ハーモニカだけです。
岩田
生楽器が少ない感じだったから、また雰囲気が違うなって。
hachi
デジタルな音を使っているのでまた新しい感覚で聴いてもらえるかな。
mica
これまではmica+hachiの演奏ベースというか、皆さんに寄り添う形で音楽を作ってきたのに対し、今回は私の方でやりたいように音をデザインさせていただいたというか…新しい感覚も味わってもらえたらと打ち込みでやってみました。
hachi
連載の最初に、古橋さんが再生芸術であるクラシック音楽と、0から新たな表現を試みる現代アートが一緒に歩んでいくことの難しさがあり、「それが課題だ」とお話されていました。それに対し、直感的に面白そうだとmicaちゃんに声がかかった。そこから今回のプロジェクトが動き出しました。その始まり方がとても印象的だったんです。
micaちゃんの作りだす音楽は、「いろんな音」をデザインするように構築しているというイメージがあります。そのサウンドデザイン的アプローチが、このプロジェクトの最後にはふさわしいのではないかと思いました。
あと、micaちゃんから声をかけてもらって参加することになった私でしたが、港まちは実は私の母が育った街でした。また、この連載を通して「毎年港まちにアーティストを呼んで、港まちの歌をこれからも作り続けていったら面白いかもね」というアイデアが生まれたり。今と昔、地域の内と外、アッセンブリッジ でも、名古屋以外から音楽家たちが集まって旋律を奏でるというように。最初は点だったものがつながって線になっていく瞬間をたくさん感じました。それで、キーワードは「点と線」だなと。これってまちづくりにも共通するような気がして、「点と線」を最後はmicaちゃんのサウンドがまとめるんだなぁって。
mica
めずらしく結構断定の提案をいただきました(笑)。「最後はmicaちゃんの音で!」みたいな(笑)。逆に、私はこれまで寄り添ってきた感覚とは違うような気もして「大丈夫かな?」みたいな不安もあったんですが。。でも「点と線」というモチーフを聞いたときに、私の中にも描けたイメージがあって。
最初は、自分が作っているサウンドとそのイメージにギャップを感じていたんですけど、みんなで話しているうちに、自分の中の新旧が一体になっていくような感覚がありました。つまり、私自身がもともとクラシックをやっていた人間で、でも、そこから新しい感覚、自分の内側に入ってくる音も大切にしたいと思った時に、それをどうやってアウトプットしていこうか、というところへの探求が原点で。そうやって私自身の音楽が始まっていたりするんです。だから、自分がやってる音楽の目的も含め、今回の作品を自分の感覚だけでつくったらどうなるんだろ?みたいな部分が興味として芽生えました。
曲の骨格ではなくて、包装紙というか、見せ方というか、聴こえ方の様相を変えるだけなんですが、それって結構大切なんですよね。例えば、いつもの公衆トイレが、ちょっとモダンになるだけで、いつもとはちょっと違う気持ちでトイレが使えるみたいなことってあるじゃないですか。そして、そういう気持ちが、コミュニティや生活を彩ったりする部分ってあるんじゃないかと思っているんです。音楽でも、そんな彩りを皆さんと一緒に感じられたら面白いんじゃないかと思っているんです。だから今回は、自分の中でのそうした感覚を思い切って重視してみました。
暮らしの風景の中から始まる
岩田
micaさんが感じられていたギャップですか?そこをもう少し聞いてみたいです。
mica
「みなとまちのうたをつくろう」として最初にいいなと思ったのは、港まちづくり協議会さんの「み(ん)なとまち」というコンセプトでした。そこから初めは「みんな」ですし「まちのうた」をつくるわけですから、単純に大衆受けというか、わかりやすい音楽を考えないといけないのかなぁと考えたんです。でもそこには、自分の感覚を「みんな」へ寄せすぎることへの違和感もありました。少なくとも私たちが「みんな」に伝えたいと感じた「まちのうた」は、わかりやすさではなくて、もっと本質的な部分…言葉ではうまく言えませんが。
で、結果的に選んだのは、先程話したことと重複しますが、最後は私たちなりの形で落とすのが1番面白いのかなぁという。このnoteの連載では、私たちなりのアウトプットとしていろんな雰囲気の音楽を表現してきましたが、それが最後はこんな風にもなるよっていう見せ方は結構面白いかなと思ったんです。
hachi
音楽とアートもつなぐ。いろんなことをひっくるめて、最終的にこの形でお見せするのが面白いんじゃないかって。
mica
そう。みなさんとだったからって言うところもあります。アッセンブリッジのみなさんがやられてきた事だったり、例えば、スーパーの片隅でカルテット(弦楽四重奏)の演奏を見せる、みたいな感覚と似てます。
岩田
なるほど。視覚的な、なんと言うか見える音楽っていうのかな。ラッピングを変えるみたいなことをおっしゃってたけど。
hachi
micaちゃんの音楽って視覚的だなって思います。
音が色鮮やかというか、音の粒のバラエティーが豊かで、いろんな形とか色とか、デザインされているように見える。私にはそんな感じがするんですね。ピアノやストリングスの豊かさとはまた違うアプローチ。視覚的な音楽みたいな事を感じています。
岩田
そんなところから、最後はmicaさんの音でみたいな気持ちが生まれた?
hachi
みなさんとお話してる中で、割と早い段階からアイデアが浮かんでいて。
mica
そうそう早かった。逆にそれをいつ皆さんに伝えようかって話してました。だけど、私も、そうは言われても、まだ心が決まっていなくて、ほんとに書けるのかなあってのもあったし、正直わかんなくて…。
hachi
でも私が点と線の話をしたら、micaちゃんの頭の中でもう音が鳴り始めてた(笑)。それがわかったから、「あ!いける」って(笑)。
mica
そうそう。あれは、2人でミーティングしたとき。私の家で、和声の感じとかライブのこととか話そうなんて言って雑談してたときでしたよね。
hachi
そうそう。micaちゃんの家で、micaちゃんは洗濯物をたたんだりしながら(笑)
mica
そうそう。そしたら、ふとメロディーが浮かんできて…。「hachiさんこれで行きます!」とか言い出して。鼻歌をはじめて、「hachiさん!ちょっとこれでいいですか!」とか言って(笑)。
hachi
日常の風景の中で「何か鼻歌で歌えるって感じ?」「そこがいいよね?」みたいな。
mica
そうだそうだ。「鼻歌から始まるの1番いいよねー」なんて話してたんだったね。どこだっけ?
hachi
らん・らららら♪…。出だしのところだね。
mica
そうそう。出だしのところだ。
hachi
そこから始まった気がする。
mica
そうだね。いくつかの短いモチーフに長いモチーフが重なるって言う…。
岩田
それが「点と線」ってことですか?
mica
そうですそうです。それがライブをするときにもリンクしていって、長いモチーフをみなさんに歌ってもらって、短いところを私たちが歌うとか、その逆をやってみるとか。そこに手拍子が重なるとか。いくつものレイヤーがある感じっていうのがまた、まちのコミュニティっぽいかなぁって思っていて。世代もそうですけど、まちのコミュニティのような混ざり合っている感じを少しでも表現できないかなぁと思って。
岩田
確かに。最初はストリングスとかが、すごい短い音で入ったりとか、後で長い音がジャーって入ったりだとか。それこそ「点と線」が音の中にいっぱい組み込まれているのかなぁって感じはありました。
音で描くストーリー、見えてくる風景
mica
さらに言うと、はじめの私のラフアイデアでは、曲冒頭のランダムなドラムのループみたいなところは「みなとまち」の音や、波の音、何か印象に残る音を録って重ねて、ライブで使えたら面白いかも思っていて。それを背景に流しっぱなしにして、私たちが実際にその上で何か即興の音楽を奏でるみたいなことができないかな、と思っていたんです。だから本当に最初のセクションは即興みたいにしたいなと思っていて。そこから「みんなのまち、みなとまち」っていうところにつながっていくんですけど、それは私たちが今回港まちに出会っていった軌跡みたいな感じを表現したくて、そんなストーリーを考えていました。
hachi
そうそう、ストーリーになってるんですよね。最初のランダムなドラムのループは、港まちのことをまだ何も知らない私たちのイメージからはじまってる。
mica
そうそう。だけど、パルス(:脈拍)だけはあるって言う感じだけはあって。ドキドキとか。
hachi
そうそう。そこで、2人の声が入ってくるんですけど、mica+hachiが港まちに触れて…あっそうなんだ!とか、盛大に開催される地域の運動会を見て驚いたり、みたいな(笑)
あと、リズムのパターンの中に、リサーチに伺ったときに町会長さんからお聴きした、港まちの流し踊りに通ずるコンセプト「3歩進んで2歩進む」という、音像を盛り込んでいたり、アッセンブリッジの街中でのカルテットを奏でている風景を拝見したところから、ストリングスのアレンジを盛り込んでいます。気づいてもらえるかわからないですが(笑)
岩田
聴いた人がその点のどこに気づくかということが、その人が風景のどこをみているのかに通じていて、思い出させるものも少しづつ違う。歌詞ではなく、音でそういう印象を思い出せるっていう仕掛けをされているのが面白いですね。
mica
歌詞ってメッセージが強いという意味では、シンプルがベストだと思っていて、私達が本当に印象に残ったことしか入れ込まないでみよう、と。膨らます必要ないねって。そこが決まるのも今回は早かったね。
岩田
歌詞もお二人で組み立てられたんですか?
mica
そうですね。私の鼻歌を、hachiさんに弾いてもらって、そこに「みんなのまち、みなとまち」って言葉が自然にはまっていっていきました。そこから自ずとタイトルも「みんなのまちで行きましょう」となって。とにかくサクサクと早かったよね。
岩田
そうじゃないんじゃない?とかのやりとりもなかった?さらさら進むみたいな感じだったんですか?
mica
そうですね。hachiさんはストリングスを入れるのにドキドキしてたみたいですけど。
hachi
micaちゃんのデジタルサウンドの中に、生っぽいストリングスの音色が馴染むのか心配していたんですけど、結果的に良いアクセントになったなと思いました。
あと、「みなとまちのうた」を作ろうとなったらメロディーと歌詞がしっかりある曲を作るとイメージされるかな?と思うけれど、コロナの影響でリモートでしかつながることができない、港まちのみなさんと実際に触れ合って交流できなかった中では、今回のサウンドデザイン的なアプローチは面白い提案だったなと思います。
そしてこれからまた新しいアーティストの方たちが、どんな「みなとまちのうた」を作るんだろうって楽しみなのですが、最初の「みなとまちのうた」は、面白い提示ができたんじゃないかなって思ってます。
岩田
おもしろいですね。サウンドデザインって言う言葉、実は私はあまり聞き慣れていないし、わかんないんですけど、やっぱり聴くと自分の中に浮かぶ風景がもちろんあって、でもまた人はそれぞれで、以前の話とかにもつながってきますけど、そこに浮かぶ風景は違っていていい。また、それを聴くことで日常を色濃く思い出したりだとか、忘れていたものを思い出したりするっていうのはやっぱり…それこそ聴覚の中から入るものが、自分の中の点だったものをつなげることでもあるのかなぁと思って聞いていました。
どうでした?今回の制作は楽しかったのかしら?苦しかった?
mica
時間制限さえなければ(笑)
「こんなに一番楽しい作業を急いでやんなきゃいけない〜」というところの焦りみたいのはありましたけど(笑)でも、作業としてはとても楽しかったです。
ただ、みなさんの思っていたことからすると、最後のこの在り方を一体どんな感じで受け止められたんだろう?とか、つまりどんな印象だったのかというところはドキドキしてます。
岩田
曲が全てを語ってくれているみたいなところはありますね。
mica
本当ですか?
岩田
いや、私がそう思うだけかもしれないですけど。でも着地点もいい意味で意表を突いて来てくださったし、最初から何ができるかとか、何曲できるかとか、私も何にも考えていなかったし、どうやって走り出すのかなぁ?ってずっと線路を見ている感じというか。別に終着駅が決まっているわけでもなかったし。でも、その駅が決まっていないときに、お二人からは、いろいろ車窓を見せていただいた。それは、作業の途中だったりとか、それに対するお話を伺ったりだとか。途中の停車駅でも、いろんな楽曲をより深く聴かせていただくことができたし。きっとまたこの後も、これらの楽曲を何回も聴き直す時があって、その時にまた見える風景も違ったりすると思うんですよね。で、それをまた今度、ライブでとか、違う場所でとか、これからもいろんな駅に降り立つ可能性があって、その度に違う風景に出会えそうというか。でも、そのなんていうかなぁ…「音で見える風景」っていうものの楽しさって、お二人だからこそだし、そこにこのメンバーの意見とかも折り重なっていく。そのプロセスっていうのが本当に面白かったです。
最終的にアウトプットされたものをそれぞれ聴く人が面白がって、その人なりに聴いてくださるっていうのが1番だと思うんですよね。もちろん作った意図っていうのは大事だしそれを踏まえて聴くっていうのはすごく楽しいことだと思うんですけど、聴く方も試されるとまでは言わないですけど、聴く方の音の迎え方もそれぞれあっていいんだって、改めて思いました。なんか、まとまらなくてすいません。
距離と想像力から生まれる感覚的なもの
了徳寺
今回がプロジェクトの最後って捉えているのはmica+hachiさんも僕たちもなんですけど、具体的な作品というか、ある程度聴きやすい作品が今まで4回続いてきて、それらは何か特定の事象に基づく具体的な作品が多かったと思うんです。それがどんどんmica+hachiさんの中で洗練され、mica+hachiさんの語法の中に定着して、それが今回のhachiさんの言う所の「micaさんの音楽で行こう」って所にまで辿り着けたのかなって。多分ですが、それは「いきなり交流して」とか「ちょっと『みなとまち』のために曲書いてください」ってことでは、絶対できないんじゃないかと…
mica
あ〜〜なるほど!
了徳寺
「港まちに来てください」ってお願いして、2、3日、たとえ1週間滞在したとしても絶対できないだろうなぁって。mica+hachiさんが言われていた「音楽でやるとしたら、ストリングスの短いところだよね」とか「手拍子だよね」「それが長い短いで表されてつながっていくよね」っていう、抽象的な会話なんですけど、これまでの2年を通して、そこまで落ちたことが今回の5作品目の完成を導いたのかなって。そう思うと、それまでの話を思い出しても、腑に落ちるところがたくさんあって。この最後の作品が「みなとまちとしての音楽か?」と言われたら、聞く人にとっては難しいかもしれないけれど、「みなとまちがなかったら、ここまでこれなかったなー」ってなんかそういうふうに聞きました。
hachi
本当にその通りですね。
mica
私もそれを聞いて「いいのかな」って思っています(笑)。
了徳寺
「いいのかな」っていうか、「みなとまちの人に分かってもらえるかなぁ」とか、多分そういう類の心配かもしれないですけど、何か今回のプロジェクトって、わかってもらうっていうのも大事かもしれないけど、何か新しい評価基準みたいなものも築こうとした大事な取り組みだったのかなって。さっきおっしゃっていた「なんでこんなに一番楽しい作業を急いでやんなきゃいけないのかわかんない」は、普通の楽曲制作をお願いした場合には記録にも残らない。ただそのアーティストの制作に関わった周辺の人々の記憶でしかなくなっちゃうけど、それを記事とかで残したりすると、「あーそういうことがあるんだ」って後の人が振り返ったりできる。それが後の20年後30年後に、「成果物だけ見てたのに、途中経過も大事にするようになったよね」とか、「その先駆けは、2010年代ぐらいにあったよね」みたいな話の一つになれたのではないかなって思います。そういうことも含めて、港の人にわかってもらえたかどうかだけではないと僕は思っています。
mica
そうですよね。ありがとうございます。すごく納得がいくなぁ。
hachi
すごく伝わっている感じがしてうれしいです。
mica
うん、了徳寺さんらしい言葉で伝わってきました。「わかってほしい」っていう気持ちはある意味なくて…なんというか、もともと私たちには分かるはずがないこと、なんですよね。住んでもなくて、滞在だって短くて。だけどじゃあ「みんなのうた」という言葉が、「みんなのうたってどういうことなの?」みたいなことになっていって。重ねてコロナ禍だったので仕方ないんですけど、結局自分がたのしいと体験したり、そこに行って何かを感じてなかったら、「みんなのうた」が描けなかったんだな、と。
だから、今回はそれを1曲でもやれたなら、それで十分というか、そこまでしか行けないのかな、とも思うんです。
でも、今、了徳寺さんに言われて、私が発見したのは、「そうか、制限があったからこそ、一番感覚的なところまで来たんだ!」ってこと。そこは多分、本当におっしゃる通りですね。
了徳寺
違う話しちゃいますけど、アッセンブリッジで実際に10日間港まちに滞在していただく企画をサポートさせていただいて、その人たちにはその人たちなりのまちへの入り込みとか入り込んだ後の経験、成果物があるんですけど、mica+hachiさんのそれらはまた全然質が違う。10日間滞在することもなしにこれだけのものが生まれるっていうのはなんかすごく面白い、ちょっと面白いとしか言えない。とてもはっきりとした差を感じています。全然違うなって。
mica
へー!それは落とし込み方がってことですか。
了徳寺
そうですねー。それは、やっぱりアレかなぁ。実際に港まちに来ると、情報量が多いじゃないですか。その人との関わりとか関係性とか。音以外のものにも、ものすごく「翻弄される」じゃないけど。リモートだったからこそ与えられる情報をすごく精査したり、ご自分の中に落とし込むっていうこと逆にできたというか。港まちに来ていたら、より具体的な情報だけで保存されちゃうんで、抽象的に落とし込むのに10日じゃ足りないみたいなこともあるかもしれないです。
hachi
想像力というか、会いに行くことができないことで、いろいろな想像をしながら、思いを馳せながら作っていたんじゃないかなって。その意味でも、感覚的に作ってたんじゃないかなっていうのはありますよね。
mica
だから、みなさんから伝わってくる言葉の感じとかすごく面白くて。オンラインですけど、このミーティング毎回とても面白かったんです。しかも、毎回結構ディープなとこまで行く(笑)。みなさんの感性にもとっても多くの刺激をいただいていて。
またその様子からまち協やアッセンブリッジ の動向に思いを馳せていたのかもしれないですね。でも、なんかやっぱり「3歩進んで2歩進む」の事だったりだとか、だんだんそれが形を変えて、私たちの中で…なんだろうねぇ、早川さんに頂いた言葉の勇気みたいなもの、なんて言ったらいいんだろう…それが、私自身のフィルターを通して変わっていったんだろうなーってところはありますね。面白いって思っていただけたならよかったです。
古橋
今は、世界のスピードが早すぎるんですよね。
表現とか成長とかっていうことって、本当はそういうことだったりするんじゃないかなって思ったりもします。
コロナで、ある種いろんなことが制限されてしまったことで、逆に本質的なことに立ち返る機会に巡り会えているのかもしれませんね。
聴く人が自由に風景を浮かべればいい
mica
一番最初に古橋さんと彩子さんとお会いしたときに、「アートと音楽の間に入れる人」を探しているという話をしていただいたんですよね。ここ最近…ですが、私は、ちょうどそんな人間なのかもしれない、という自覚があって。だからそこに自分がアサインされたことが、個人的にもその気づきになり面白かったし、それに対して、きちっとアウトプットすることも重要なのかな、と意識しました。なので最後の提案をhachiさんにされたときは、戸惑いましたけど、最後はやりきって私らしい音っていうものをある程度出して終わった方が面白くもなるんだろうと考えられるようになりました。
コンサートを制作から提案するとか、コンセプトを考えるとか、そういうことも仕事になってきているところが面白いし、それはこの先のライフワークにも繋げていきたいなと思っています。でも、それをどうやってアウトプットするかって、いつもすごく難しくて。今回それが必要な場所に、呼んでいただいたからこそ経験できたこともたくさんあったので、お声がけいただけて本当に有り難かったです。
古橋
さっきうちのスタッフに見せたらNHKのEテレの音楽に使われていそうだねって。
mica
あはは!確かに視覚的な音楽が多いですよね。面白そうで、やってみたいです(笑)
古橋
港まちの活動でも、いろんな場面に使わせていただけると嬉しいかなとか。
hachi
それも込みで私は考えていました(笑)。
mica
えー、そうなんだ(笑)。
もちろんぜひ使ってください!そしてそういうことであれば、これからもぜひ協力させて下さい。
古橋
聴く人が自由に風景を浮かべればいい音楽って話。以前にも出ていたかもしれないですけど、音楽がそれを選ばないっていいですよね。今日なんか例えば、窓の外は雨が降っているんですけど、雨の日によく合う音楽だなぁなんて思ったり、でももしかしたら晴れていたら違う見え方をしていたかもしれないなぁとか。
mica
あーそうなんですね。私の中では晴れっぽいなーって思っていましたが、雨にも似合うって言われるのも嬉しいですね。
古橋
面白いですよね。同じ曲で別々の絵が思い浮かべられるって。でも同時に窓の外に目を向けるっていう行為は、この曲によって促されたんされたんだなーっていう感じがするんです。音楽はそれを一切妨げないんだけど、それがあることで行為そのものが起きるというか。なんかそういう音楽って面白いですよね。今日の皆さんの話を聞いて、僕もようやく感想が言葉になりました。
mica
嬉しいですね。私もずっと音楽で何をやりたいのかってすごく難しかったんですよ。自分の中で。すごく個人的な話になっちゃいますけど。「色がない色がない」って探しているときがあった…。だけどだんだん人から、光とか、透明な感じとか、そんなことを言われるようになって。だから結局今回みたいなのって、すごく面白くって。「こういうものを作ってください」って、逆に頼まれないから、フレームではなくて、内容物から詰まっていって、それが自分の感覚に落とし込まれていって音楽として出てくる。だから、すごいピュアな形で生まれてきたと思うんですよね。だから色を探さずに、でも、結果的にさっき了徳寺さんに言ってもらったみたいに、そこに終着したって感じです。
古橋
「3歩進んで2歩進む」みたいなことが、micaさんの中を通って抽象化されているから、その意味とか解釈を含んだメッセージみたいなものは確実にあるんだけど、その解釈は、聴き手の自由というか、それに委ねられている。
mica
そうそう。そうなんです。そこは自由なんですよ。そこを仕切られるのが私が個人的に好きじゃないのかも…だからなのか、私の内側からも、なんかそういう出方をするみたいですね(笑)。
古橋
ただ今までは、その自由になった曲に対して、そのときに何を考えていたかとかいうことを言語化しなかったりだとか…。
岩田
そこまで言わないし、話さないですよね。
古橋
でも、まぁもちろんそのできたものを味わう自由と言うものは尊重しながらも、なぜそれが生まれてきたのかってところを「ちょっと言語化してみた」みたいな事は、結構面白かったですよね。
mica
良かったー!少し安心しました。
それぞれの歴史
岩田
なんか私はそれこそクラシックオタクだから、ベートーベンとかモーツアルトとかの書簡を読むのも好きで、それを読んでその時の状況を知りつつ曲を聴くこともあるんですよね。その時に自筆譜がどうなっているか、とか、加筆修正とか見比べて、どのように曲ができたかっていう過程を知るっていうのがとても好きなんです。でも、それは歴史的なものであって、状況は推測できるけど、声までは残ってないものです。でも、今回はその過程そのものを声で聞けて、一緒に追体験までしていくっていうことが、とてもリアルでした。手紙の中だとその文脈に対して、やっぱりこちらの想像力が入ってしまうけど、こうやって皆さんとface-to-faceで離れていてもできてしまうこととか、現代に生きているからこそだなーって、思いました。有り難かったです。
mica
なんかでも私の方こそ、彩子さんがいてくれることの安心感ってすごかったです。
hachi
わかるわかる!
mica
さっきの話の続きにもなりますが、私自身ずっと打ち込みをやってきた人間じゃないってところもまたネックになってて、自分の中ではですけど。だからその打ち込みだけならもっとうまい人ってたくさんいると思うんです。だからその両方の感覚を持っているって言うところが弱みでもあり強みでもあるのかな、と。だから今回音楽についても新旧分かる、その両方がいるっていう事は私にとってすごくよかったなーと思っていて。今みたいな、書簡のお話とか、彩子さんのクラシック小咄みたいなのが、私たちも大好きでした。音楽的に、私たちの背景をわかってくださる彩子さんがいてくれたことが本当に大きかったなぁと思っています。
岩田
歴史ですもんね。micaさんの歴史もあるし、これまでどうやって音楽に関わり続けて来たかって、その人それぞれだから。やはり、その先程の2つの間を埋めるってことは、その音楽性からもやっぱりそうなんじゃないかな。生とDTMと両方をよく知っていると言うこともmicaさんでしかできないことですよね。そして、そこにhachiさんのインスピレーションがあるっていうお2人で作る良さと言うのは常にある。共同作曲って、実はあんまり聞かない分野ですが今日のお話を聞いていても、やはり2人でスムーズに作曲が進んでいくんだなぁってこともよくわかりました。
mica
そうですね。振り返ると今回2人でやったからできたことでもあって、私1人では、このスピード感では、とても行き着けなかった気がします。
岩田
演奏でも、一緒にやっていると衝突するって話は、往々にしてあるけど、二人がやっぱりスムーズにやれてるのは、共有しているものが大きいし、インスピレーションを常に与え合っていらっしゃるんだなぁと思って。
mica
お互いにできることが全然違うんですよ。そこがいいのかもね。楽なんです、すごく。
hachi
そして、こうして無事最終回にたどり着けたのは、古橋さん、岩田さん、了徳寺さんのお力あってこそだと思っています。
楽しいクリエーションでした。本当にありがとうございました。
一同
ありがとうございました。
番外編へつづく。
このインタビューは、東京と愛知を
インターネットで結んで行われました。
写真左上より:mica、長谷川
左下より:岩田、了徳寺、古橋
プロフィール
坂東美佳/mica bando
愛知県生まれ、東京都在住。
鍵盤楽器と声を用いてパフォーマンスや楽曲制作を行っている。2019-2020年六甲ミーツアート「ザ・ナイトミュージアム」、越後妻有「Gift for Frozen Village/ 雪花火」、2018年山口ゆめ花博「KiraraRing」「夢のたね」髙橋匡太作品音楽担当、2014-2018年パフォーマンスプロジェクト「SLOW MOVEMENT」他音楽担当、2018年オリジナルアルバム「Anonymoth」発表。東京芸術大学音楽学部ピアノ科・バークリー音楽院シンセサイズ科卒業。
長谷川久美子/Kumiko Hasegawa
東京都在住。
ピアノの遊び弾きから自然と作曲をはじめる。東京音楽大学作曲科 映画・放送音楽コース卒業。ピアノ連弾ユニットHands two Handsとして活動後、映画やCM音楽の作曲、アーティストへの楽曲提供やアレンジなどを手がけながら、池田綾子、松本英子、手嶌葵らのピアノサポートをつとめる。幅広い音楽活動の中、あらためて自身の音楽の原風景に立ち返り、2019年、1st.ソロアルバム「花を摘む」をリリース。
岩田彩子/Ayako Iwata
愛知県在住。
アッセンブリッジ・ナゴヤの音楽部門ディレクターを2017年より務める。生涯学習としての音楽のあり方や、演奏家の社会的繋がりに関心を持ち、コンサート企画や、音楽教育に携わる。
了徳寺佳祐/Keiske Ryotokuji
愛知県在住。
アッセンブリッジ・ナゴヤの音楽アシスタントとして2018年より制作勤務に就く。長久手市文化の家創造スタッフとして作曲・ピアノの業務にあたる。
古橋敬一/Keiichi Furuhashi
愛知県在住。
港まちづくり協議会事務局次長。学部時代にアラスカへ留学。アラスカ先住民族の文化再生運動に触れ大きな影響を受ける。帰国後、大学院へ進学すると共に、商店街の活性化まちづくり、愛知万博におけるNGO/NPO出展プロジェクト、国内および東南アジアをフィールドにするワークキャンプのコーディネーター等の多岐にわたる活動に従事。多忙かつ充実した青春時代を過ごす。人と社会とその関係に関心がある。2008年より港まちづくり協議会事務局次長として、名古屋市港区西築地エリアのまちづくり活動を推進している。
アッセンブリッジ・ナゴヤ
アッセンブリッジ・ナゴヤ 2020|Assembridge NAGOYA 2020
まちで出会う、音楽とアート。名古屋の港まちと世界がつながる。アッセンブリッジ・ナゴヤ 2020