挑戦は"自分の正解を見つける"唯一無二の手段
正解のない世の中になってきた。
今までのように誰かの何かをなぞり、均質化した人材が必要な時代は終わった。
僕らは最高に難しく最高に面白い時代に見を置いていることを認識したほうが良さそうだ。
10年前、パレスチナに行ったとき、目隠しをした少女の自画像を見つけた。
何故その絵を書いたのか。
その子は"未来のないパレスチナの現状"だと言った。
この先がどうなるか誰にもわからないし、見える未来もない。
まさに、"お先真っ暗"の状態だ。
そんなときに人々が起こす行動が自爆テロだと言い、そんな世の中は嫌だから私は医者を目指していると言い切った彼女が忘れられない。
(画像はネットよりお借り)
状況は違えど、今の日本は人の足を引っ張り、自分の不幸を認めたくないが故に人の不幸を面白がり、失敗した人を徹底的に叩く。
日本は平和で安全な国だということは間違いないが、人々の心や思考は歪み、見えている未来はくすんでいる。
そんな時代になり、自分のことを見るより他人の失敗をあざ笑い、他人の成功を羨む方が生きやすくなっている。
パレスチナで出会った少女は先の見えない今を抜け出すために、人の命を救う医者になろうと動いていた。
(画像はネットよりお借り)
僕らはどうだろうか。
今こそ自分に矢印を向け、弱くて惨めで嫉妬深い自分と戦うべきではないのだろうか。
僕が挑戦する理由はそこにある。
何もしなくてもそこそこの幸せを得ることに何の面白さも感じない。
ならば、失敗するかもしれないリスキーな人生を選び、限られた時間を思いっきり生きた方が、結果、幸せなんじゃないかと思う。
無謀な挑戦をしたことで、自分の正解を見つけることができた。
すべての人が、すべてを捨て、何かに挑戦することを勧めているわけではない。
小さな一歩でいい。いや、半歩でいい。
正解がない世の中だからこそ、自分だけの正解を見つけることをはじめよう。
他人と比べて、他人を羨み、他人をライバル視したところで、それは他人と比べた正解だ。
僕らは、未来への不安と過去の後悔により歩みを止め、思考を止めている。
その半歩前へ踏み出す姿こそ、限りある命を輝かす手段となる。
自分の人生は自分で変えられる。
その変わった自分は社会も変えられる。
だから、今を色濃く生きよう。
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