Jリーガーが担う日本サッカーの持つ社会的意義とは何か。
僕がJリーガーを目指してから2年が過ぎた。
昨年40歳のJリーガーが誕生し、サッカー界が少しザワついた。
それは日本サッカー界だけでなく、韓国やポーランドからも声が届いた。
ただ、そのニュースは僕の意図するところではない部分だけがフォーカスされ、気がつけば僕もそれに乗っかっていた。
Jリーガーになることを目指したのは、スポーツ界を変えたい。
サッカー界はこのままでは絶対に良くないと思い、指導者から改革をしようと動いたり、教育でサッカー界を変えようと試みたりした。
しかし、当時の僕にはスポーツ界どころかサッカー界すら変える力はなかった。
そんな自分に苛立ち無力感を感じ、絶望すらしていた。
そのときに僕は思った。
嘆いている暇があれば自分に力をつける圧倒的な努力と挑戦が必要だと。
その結果、僕は40歳でJリーガーになることを宣言したんだ。
正直、いばらの道だった。
でも、その道を歩みきったのは、そこにスポーツ界を変えたいという志があったからだ。
僕がJリーガーになったのは、小さいころこから夢を叶えたいというものではない。
もちろん、自分の人生の後悔を取り返しに行くというわかりやすい旗を上げたが、それはあくまでも、同じ船に乗ってほしい仲間に向けて、わかりやすいテーマを掲げただけだ。
もちろん、その言葉に嘘はないし、そのテーマがあったからこそ多くの仲間が集まり、僕はJリーガーになれた。
しかし、気がつけば手段が目的化してしまい、Jリーガーというゴールを作ってしまった。
昨年、水戸ホーリーホックでイップスになったのは、ここに原因がある。
僕は、スポーツ界を変えたいためにJリーガーになった。
そして今は、サッカーが持つ社会的意義を定義し、そのために具体的な社会課題に取り組むべきだと考えている。
今サッカーは、その価値を表すものがお金メインになっている。
何故、今回日本ラグビーがこれだけ盛り上がったのか。
それは、彼らがラグビー界のために、日の丸を背負い、多くの犠牲を払い、戦う姿が国民の心を揺さぶり、感動を巻き起こしたんだ。
日本サッカー界もそんな時期があったはずだ。
しかし、今はスポーツビジネスという言葉を使い、あたかもそれがメインであるかのようにお金に執着している。
もちろん、大事なことはわかる。
ならば、せめてワールドカップだけは、お金の匂いを消し、自分のステップアップだけ考えるようなチャラい日本代表をやめるべきだ。
本当に日本サッカー界を考えるなら、モンゴル戦はJリーガーだけで挑んでもよかったはずだ。
Jリーグもクラブもそのためなら喜んでリーグを中断させ、資金提供してもいいくらい全面協力があってもよかったはずだ。
日本サッカーは日本社会にとって、一体どんな意味があるんだろうか。
サッカーが持つ社会的意義とはなんだろう?
Jリーガーとして、高級車や豪邸に住むのは自由だが、その恩恵を社会に返す役目もになっていいはずだ。
Jリーガーが自らその立ち位置にたち、犠牲を払って日本サッカー界の100年後を真剣に考えてもいいのではないか。
いや、考えるべきなんだ。
自己満足のためにサッカーをしている選手が増えれば、日本サッカーは衰退する。
Jリーグが出来る前の選手や協会関係者は日本の未来を見てきたはずだ。
今僕らがそれを放棄したら、子どもたちに渡せるバトンはあるのだろうか。
僕が感じる日本が直面している大きな問題が2つある。
一つは環境問題。
もう一つが教育問題。
これは改めて具体的に書くとしよう。
環境問題も教育問題も無知で素人ではあるが、安彦考真として、Jリーガーとして取り組んでいきたい。
皆さんの、サポートを借りながら。
つづく
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