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よく晴れていたが昨日に引き続いて北風が吹いていた。太陽との位置関係で言えばもう春なのだと思うが、風があるのでやたらと寒いのだろうか。去年の今頃の日記を見返すと、花見をしている。今日、羽田の方を歩いて行く途中に河津桜が一本だけ立っていて、8分咲きだった。昨日のうち自分の家に戻ってきている。特に用事もなく家にいるのは久しぶりで、羽田の方にいくのも久しぶりだった。環八沿いの道路を眺めていると、この1年のうちに建ったマンションがいくつか完成していて、少し見慣れない景色になっていた。業務用スーパーで油を買って、普通のスーパーでじゃがいもを買う。家に帰ってからベランダを見ると、向かいの家のぼうぼうになった庭にも河津桜が咲いていた。コロッケを揚げる。

ハッピーアワーを観ていて、今回特に気に留まったのは、第3部冒頭の作中作の小説の朗読会だった。小説家役の役者が自分で実際に書いた小説を、小説家役として読み上げ、それをハッピーアワーの劇中人物と、朗読会に普通に来た一般人とで聞いているという、複雑すぎる演算処理が行われるというシーン。朗読会の後の感想会では一般人からも質問が寄せられ、それに対する応答はアドリブで演じられる。そこで起こっているさまざまな奇跡を解釈するのに、非常にカロリーを使う場面だ。一人称の小説が冒頭から声で読み上げられ、一つ一つを目で追って行くような情景描写、客体化された語り手自身の身体描写が続いていく。精緻な他人の言葉によって、他人の感覚に入って行くような錯覚を覚える。そのことには劇中人物も後で触れている。小説を冒頭から文字で追っていくという順番と、僕らがものごとを知覚をする順番、小説を読む時間と、人生の感じる時間。それぞれに微妙なズレがあり、スピードも異なる。そのような知覚の最小単位まで微分して観客の意識を向けさせた上で、その後の展開に注目させる。濱口竜介の映画は観客に、どこまでも見ろ、という方向づけを与える。

夜に、体調が戻った彼女とコンビニまで牛乳やおやつを買いに行く。彼女はいつも牛乳を飲んでいる。夜は寒くて、彼女は昨日僕が買ったユニクロのダウンジャケットを着て、僕はいつもの高いブルゾンを着て行った。ユニクロに比べてはるかにブルゾンが軽くて驚いた。彼女と交換したら、彼女も驚いた。


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