世界一受けたい授業 一時間目 国語 『MajiでKoiする5秒前』を題材に



授業をはじめます。

この詞を読む前にまず時代背景として知っておきたいのが、"MK5" というコギャル語の存在です。これは「マジ(maji)でキレ(kire)る5秒前」を意味します。『Maji でkoiする5秒前』というタイトルはこれを踏まえています。

作中でも、

"Maji でkoiしちゃいそうな約束の5秒前"
"Maji でkaiたラブレター渡すその5秒前"
"Maji でkissをくれたのは門限の5秒前"
"Majiでkonya 眠れない真夜中の5秒前"

と"MK5"が繰り返しこだましています。作中に登場する「ボーダーのTシャツ」「渋谷」「プリクラ」「公園通り」といったモチーフも当時の文化流行・時事風俗に基づくものです。

では、この詞の「私」はコギャルなのでしょうか?

その答えは……いえ、ここで私がその答えを述べるよりも、一緒に『Maji でkoiする5秒前』の世界を見ていきましょう。

冒頭、主人公である「私」は「ボーダーのTシャツ」を着ており、「裾から」「おへそ」が覗いています。これは肌の露出の多い服装ですので、「ママ」は顔をしかめています。

しかしその次の行では「渋谷はちょっと苦手」「初めてのまち合わせ」と続きます。

ここで我々読者は気づきます。主人公は渋谷で遊び慣れているいわゆる「コギャル」ではなく、待ち合わせのために少し背伸びをして張り切っておしゃれをしてきたのです。

この歌詞を歌った広末涼子は──みなさんご承知のこととは思いますが──「ギャル」でも「不思議ちゃん」でもない「正統派アイドル」です。

一方、作者の竹内まりやは当時すでに評価が確立された大物アーティスト──この二者はどちらもコギャルではないのです。

しかしそれでもタイトルは『Maji でkoiする5秒前』──MK5というコギャル語であり登場するアイテムも一見コギャル風なのです。

これは何を意味するのでしょうか?

結論から言うと、私はそこに表現されているのは「憧れ」だと思います。

しかめ顔──しかめ面(ヅラ)ではなく──や、人波──人混み(ゴミ)ではなく──といった、徹底してかわいい言葉を選ぶ手つきからもそのことが伺えます。

広末涼子はコギャルではないが「彼」のために少し背伸びをしてコギャルのように振る舞う、そして竹内まりやもまたコギャルではないが過剰なまでにアイドルソングな歌詞を書く──両者はコギャルという座標を設定することにより、コギャルからの距離という測度によって一致するのです。


竹内まりやと広末涼子はコギャルからの距離において等しい



そしてこのコギャルから等距離に当たる存在──その無限個の点からなる円の上には、広末涼子のファンである我々もまた位置を占めています。

コギャルを原点とする円周上にファンである我々もいる




この歌詞内部の世界において、コギャルとは自転を証明するためのフーコーの振り子の支点なのです。

この作品を一読して、生き生きとした「私」のモノローグと対比を成すかのように、主人公が憧れているはずの「彼」の描写があまりに曖昧だと感じることはなかったでしょうか?

「ずっと前から彼のこと好きだった」「やっと私に来たチャンス」と言ったかと思えば、「Maji でkoiしちゃいそう」……その恋は開始すら定かではありません。

「憧れ」とはおそらくそういうものだからです。

アイドルソングの目的はアイドルを輝かせることであり、アイドルを輝かせるのはファンの憧れにほかなりません。

広末涼子を輝かせた『MajiでKoiする5秒前』は、その成功によって、計らずもアイドルの相対性をもまた示してしまったのではないでしょうか?

アイドルを中心に我々が回転しているのではなく、相対的な座標を取りながらアイドルもまた回転しているのです。

それではまた次の授業でお会いしましょう。ご機嫌よう。

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