この世に投げ返されて【1】 ~13分間、死んで戻ってきました~ 推敲用
13分間、死んで戻ってきました 推敲用 【1】 長澤靖浩
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2013年のことでした。
当時の私は、公立中学校の先生として日々激務に追われていました。
2月の寒い日曜日。
私は小さなライブ会場で、好きな音楽を聴いて踊っていました。
その私を突然、心室細動と呼ばれる心臓発作が襲ったのです。
心臓が細かく震え、正常な心拍を打たなくなってしまう症状です。
後に主治医に尋ねたところによると、心臓にも血管にも特に大きな疾患は見つからなかったそうです。
日々の体の疲れと心労が限界に達していたのかもしれません。
その心室細動は原因が不明でした。
私はライブ会場で突然、昏倒してしまいました。
会場にいたどなたかが、救急車を呼んでくださいました。
間もなく到着した救急隊員は、心肺が停止しているのを確認すると、A.E.D.(自動体外式除細動器)を用いました。
幸い、一回目の電気ショックで、心臓の微細動は鎮まりました。
心臓が正常な心拍を打ち始めたのです。
119番の電話がかかってから、心拍が戻るまでの時間から、救急隊員は私の心肺停止時間を推測しました。
それによると、私の心肺停止時間はおよそ13分間だったと推定されたそうです。
心肺停止とはいわゆる死を意味すると言っても過言ではありません。
A.E.D.のない時代なら、医師がご臨終ですと両手を合わせ、時計を見て、死亡日時を確認する、そのタイミングです。
ただし、一定時間内に心臓が心拍を取り戻し、肺が呼吸によって酸素の供給を再開すれば、死の淵からの蘇生は可能です。
古い時代にも通夜の最中に、棺桶の中から起き上がった人がいたという逸話を耳にすることがあるほどです。
ましてや、現代では、A.E.D.という素晴らしい医療機器があります。心肺停止状態からその蘇生率はあがっていきています。
しかし、それでも、13分間の心肺停止は、あまりにも長すぎました。
酸素を供給されなくなった脳では、すぐに脳細胞の破壊が始まります。
そしてそれが13分間続いたならば、脳は回復不能なまでに破壊されてしまうのが普通だそうです。
この時点で、救急隊員は私が意識を回復しないままに死亡してしまうことを第一の可能性として予測しました。
仮に命をとりとめたとしても、意識は回復せず、延命措置による長い植物状態の後に結局は帰らぬ人となることが予測されました。
もしもこのとき、妻子など、延命措置を望む、望まないの判断をする権限のある人が居合わせたなら、人工呼吸器にはつながないという選択肢がありました。
そう、私は心拍こそ打ち始めたものの、肺は自発呼吸を始めておらず、機械に繋がない限り、そのまま再び心臓が停止し、死んでしまうところだったのです。
しかし、親族が延命措置を望まないか、私自身が延命措置を望まないという意志を元気なときに明言していない限り、救急隊員には、人工呼吸器に繋ぐ義務がありました。
私はそのマニュアルに基づいて、救急車の人工呼吸器に繋がれました。そして、そのまま近くの大きな病院に運ばれたのです。
循環器病棟が比較的充実していたその病院で、私はできる限り脳細胞の破壊を食い止めるため、脳を低温に保つ療法を施されました。
しかし、それまでの経過報告を聞いた医者も、私には殆ど回復の見込みがないと考えていました。
心肺停止時間が長すぎたのです。
駆けつけた家族にも、医者は、私がこのまま意識を回復せずに死ぬだろうことを話さざるをえなかったのです。
なんとか命をとりとめたとしても、意識は回復せず、機械に繋がれたまま、長い昏睡状態を続けることが予想されました。
ただ、人工呼吸器に繋がれた私はこの時点ではまだ命ある存在でした。
そして、いったん人工呼吸器に繋いだ以上、生きている病人からそれを故意に取り外すことは、法的に許されていなかったのです。
たとえ、妻子でも、人工呼吸器に繋がない判断はできても、いったん繋いだ人工呼吸器を取り外す判断は許されていないそうです。
選択の余地なく私はいつ果てるともない昏睡状態に入ったのです。
(2)
この世から見ると、私は長い昏睡状態にありました。
しかし、そのとき私は世界中の多くの人々によって臨死体験と呼ばれている状態にありました。
この本で私は、まずは筆舌に尽くしがたいその臨死体験を、できる限りこの世の言葉で表現しようと試みてみます。
私が長い間、その不可思議な体験について本格的に語ろうとしなかったのには、ひとつの重大なわけがあります。
その体験はあまりにも安らぎと至福に満ちていました。一方、私の生きている現実の世界はますます混迷を深めています。ごく一部の超富裕層に支配されたとんでもない世界への道をひた走っています。
私は臨死体験といった特異な体験を語ることで差別されることは恐れません。
私が恐れたのはあまりにも安らぎと至福に満ちたその世界を語ることが、人々に死への憧れを惹き起こすことなのです。
私はこの本で臨死体験について、この世の言葉を使ってできるだけわかりやすく語るつもりです。
しかし、それは読者の皆さんに死への憧れをかきたて、こんな苦しいこの世を去って、早く死んでしまいたいと思うようになってもらうためではありません。
そうではなく逆に生きていることは奇跡であることを伝えるためなのです。明石家さんまさんの有名な言葉にもあるように「生きているだけで丸もうけ」であることを伝えるためなのです。
この世での縁が尽きて、本当の永久的な死が訪れるその日まで、命のある限り、あるがままの自己を融通無碍に踊りきってほしいからなのです。
死後の世界に安心することで、それを早めることを願っているのではありません。
死という最も怖ろしい事柄への根源的な安心感をもった上で、だからこそ今ここに生きていることの奇跡を十全に味わい、分かち合う。
それが私の今の姿勢であり、この本を書くに当たっての願いです。
その意味でこの本は、臨死体験の奇跡そのものだけを語ることを主眼においた本ではありません。
臨死体験から逆照射される、生きていることの奇跡を語る本です。
「生きているだけで丸もうけ」であることをしみじみと実感し合いたいのです。
私は臨死体験後、身体障碍者となった人生を生きてくる中、以前よりますます、生きている今ここが奇跡であり、丸もうけであることをひしひしと実感するようになりました。
そして最近やっと、臨死体験を広く世の人々に語ることを通して、生きていることの奇跡、「生きているだけで丸もうけ」であるを伝えることができる手応えを感じ始めました。
そんな今であるからこそ、あの体験を全部語ろう、そしてこの世に投げ返されてからの自分の生を語ろうと思ったのです。
そして生と死は別々のものではなく、死を語ることはそのまま生を語ることだと言いたいのです。
今ここを生ききるためにこそ、生と死をひとつのものとして語りたいのです。
それでは、私と一緒に生死を超えていく扉を開いていきましょう。
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