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柔らかいフロント しっかりとしたバック

10年前の日記。
6月3日、金戒光明寺、ジョアン・ハリファックス老師ワークショップの感想を書こう。
 午前のワークは、部屋に線を引き、ジョアンが「なになにに該当する人」というと、線の向こう側へ行き、線の反対側の人々と見つめ合うというものから始まった。これは自己認識の軽い助走と言えるだろう。
 次に自分の中心を思い出す呼吸のワーク。ふつうに冥想とも言えるが、リードするジョアンのアナウンスで強調されたのは、「やわらかいフロント、しっかりとしたバック」というものだ。この言葉は実に示唆的で、強くてしなやかな在り方について悟るところ、多かった。日本の禅は前も後ろもしっかりととする武士の伝統が強いが、アメリカでは多くの女性が参禅しており、「やわらかいフロント、しっかりとしたバック」という在り方が指導されているという話も興味深かった。
 そのようにして、冥想において自分のスペースを確保した上で、苦しんでいる人の想起を行った。そしてその「苦しみが取り除かれますように」と呼吸し、「平安でありますように」と呼吸した。これはいわゆるチベット仏教のロジョンのトン・レンに近い。あびも阿弥陀瞑想として死を見つめるワークなどで取り入れてきたものだ。(注 ロジョン・・・チベット仏教で「心の訓練」。ことにゲシェー・チェカワの「ロジョン・トゥンドンマ=七事修心=心の訓練 7つの要点」が重要。ちなみにオショー・ラジニーシがそれをアティーシャが書いたとしているのは、オショーの勘違い。オショー・ゼン・タロットの38番でオショーが「アティーシャの練習」と言っているものは、チェカワのロジョン・トゥンドンマの中、7つのうちの2つ目の前半で世俗の菩提心を説く中の、トン・レンという修行法である。)
 次のワークは、最もいやな死に方をできるだけ考えずに思いつくままに詳細に描写するというもの。続いてそのとき体と心と頭が何を感じているかも書く。
 さらに最もよい死に方について同じように書き、体と心と頭の感じていることも書く。さらに最もよい死に方をするためにしておかなければならないことを書く。そして3人グループでシェア。 死生観を見つめる上でのエッジに連れていくワークになっていたと思う。
 午後は、いわゆるカウンシル。トーキングスティックのかわりに、小田まゆみさんが持参した数珠が用いられた。シェアしたい人が、その数珠を手にとり、皆はそれに傾聴するというもの。
 知己の死に目の話が続き、深いリアリティがあった。しかし、それがある程度続くと、一種の平衡状態に達した気がした。そのころ、一郎さんが脱原発の思いを語り、それで潜水はターンしていることがはっきりした気がした。ぼくは最初は、その前日に感じた教師における6つのエッジステイツについて語ろうかと考えていたが、このころになると逆に、教師としての楽しいできごとばかりが想起されてきた。特に子どもたちに支持されたり、子どもたちとのつながりを強く感じたシーンばかり思い出して、うれしくて仕方ない。そこでそれをそのままシェアした。
 あとで、ウィマラさんが、そのポジティブな話を聞いて泣いていたと言ってくれた。真の癒しは、苦しみや悲しみとの直面のあとに、プラスの感情が湧いてくることだと言っていた。ぼくは「それは場の力であって、最初の頃にシェアしたら、たぶん、苦労話をしたと思うけど、カウンシルの後半には歓びのほうがリアルになっていったからそれをシェアした」と言った。
 「場が熟したのだろう。よくそこまで待ってから発言してくれた」とウィマラさんが言っていた。
 そのカウンシルのあと、これから何ができるかの小グループでの話し合いと模造紙へのメモを行った。あびのいたグループの模造紙には、システムが改良されると同時に、その各箇所に「しっかりとしたバック、やわらかいフロント」の瞑想的な人物がいるというヴィジョンが、明確になった。
 この進行は、シェアからヴィジョンまでの進行は、ディープエコロジーのワークを思い起こさせた。カリフォルニアで開発されたメソッドの基本を踏襲していると思った。

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