初田豊三郎『理不尽 枚方市清掃工場談合事件』

初田豊三郎『理不尽 枚方市清掃工場談合事件』読了。
もはや失うもののなくなった初田豊三郎が、かつての枚方政治の構造(岡市支配と偽革新政治のからくり)、それに対する挑戦と行き過ぎ(ミイラとりがミイラに)、ともに闘ってきた中司元市長の裏切りなど、「真実」をぶちまける。
初田自身の自己美化が混入していないとは言えないと感じるが、大筋において説得力があり、これが事実なのであろうと感じさせる。
書いた動機の根底には、このままでは自分や自分の子どもらが浮かばれないという思いの強かったことが窺える。初田が中司を巻き込んだ悪人(張本人)とされている、これまで表面的に「流布している情報」よりも、あるがままの「事実」のぶちまけのほうがまだしも、自身の名誉回復になるということだろう。負の事実も含め、できるだけぶちまけることが一番ましだという腹が据わったことに関しては、評価できると思う。もはやそれしかなかったとしても、多少の自己美化がどうしても人情として残ってしまったとしてもだ。
書物としては、「真実」をぶちまけることで終わっており、だから岡市をどうしろ、中司をどうしろ、枚方市政をどうしろいう提言はない。結果として、それらの事柄に間接的な影響力を及ぼすことがあったとしても、初田自身の目的は、とにかく「これが真実だ」ということをぶちまけずに死ねないといった、きわめて個人的な心情の中にあると思った。その意味で、公益性を狙ったものではない。公益性を狙わないなら自分のために書いただけだなともいえるし、善意にとれば今さら公益性を自分が提案するのはおこがましいので、事実だけははっきりさせておくから、後はみなさんで考えてくださいということなのかもしれない。
この本は関係者には波紋を投げかけるだろう。特に中司。
そして僕は江川紹子が無能なライターであること、文芸春秋の実力など知れていることの証左にもなっていると思った。
だが、この本は、枚方市政に対する紙爆弾になりうるだろうか? それにはこの本の流布の度合いや、枚方市民の「民度」がかかわってくるだろうが、なんとなくあまり期待は持てない。
まず流布だが、初田はこの本にISBNを付けず、書店販売原則なしの、直販だけの自費出版とした。その理由は本人に聞かないと今ひとつわからないが、僕はせめてISBNはつけて(今時、簡単に買える)、書店流通するべきだったのではないかと思う。そうしなかったことにも、初田の「この本は個人として真実をぶちまけたかった。それだけの本です」という姿勢がよくも悪くも見え隠れするように思う。今さら何かを変えていこうという運動ではありませんし、この本で儲けるつもりもありませんということだろうか。
それはそれでいいのだが、中身と相俟って、ISBNをつけなかったことは、初田の関係者以外にとって本の持つ意味を限定するもうひとつの理由になってしまったように思う。
そして著者自身がそのような限定的な意味しか持たせなかった本を、ほかの誰かが有効な起爆剤として受け止め、それを活かして市政を変えていくといった力量は誰にも、たとえば他の議員や、殆どの市民にもないような気がした。(あるとしたら、市民派議員だが、前回の市議選ではひとりからふたりに増やそうとして失敗し、現況0である。また今まですべてから「はみご」になってきた共産党議員が少数で何ができるかにも一縷の望みしかない気がする。ましてや、どれだけの市民が本気で市政を変えようとするだけの人生のゆとりがあるだろうか??? こんな国、こんな大阪、こんな枚方で、みな、生きるのに精いっぱいではないか。
最短にまとめるなら、「初田は真実をぶちまけたが、枚方は変わらないだろう」これが僕の感想だ。初田個人にとっては、出さないより出したほうがよかった本だろうとは思う。

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