政治教育の必要性
子どもを政治的なことに巻き込んではならないという言説こそが罠だ。その言説そのものがきわめて政治的であり、そのように意識して行動すること自体も政治的である(反動的な立場を重視する政治性がある)。そのことに無自覚でいておいて、いけしゃあしゃあと政治的であってはならないとすること自体が論理矛盾している。
私が中学生だったとき、先生たちが1分間ストライキというのをやった。公務員のストライキが禁止されていること自体への抗議の意味もあるらしかった。しかし、子どもの教育を保証するために一日ストライキというのは私たちはやらない。だが、一分間ストライキを今日はするのです。理解して協力してくださいと先生が、俺たち子どもの前で説明して、いつもの終礼終了時間より一分早く、さっと去っていった。
かっこいいと思った。その瞬間に多くのことを学んだ。教科の勉強なんぞは殆ど忘れてしまったが、このことは心に刻みつけられた。
今そんなことをしたら確実に処分される。だからそういう教育は今ではできない。だが、昔、こんな教育があったが、今ではできないのです、という説明の授業なら今でもできる。
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