浄土と空

私の臨死体験においては、
天親の「浄土論」における三厳二十九種の荘厳はなかった。
曇鸞が「浄土論註」に荘厳をひとつに絞りきった「清浄」だけがあった。
澄み渡る覚醒。
空。
親鸞が「唯心鈔文意」に
「法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり」
というとおりである。
七高僧の初めは空の思想を大成した龍樹である。
七高僧のうち、その龍樹の影響を最も強く認められるのが、曇鸞である。
親鸞は、自らの名に、天親の親をとることで、浄土や阿弥陀如来などの方便を重視し、
自らの名に曇鸞の鸞をとることで、清浄のみを荘厳とする空を重視している。
そうして、その二つを融合して自らの名告りをあげたのである。
そう確信する私は、「歎異鈔」と「般若心経」を一冊に訳したのは
どこまでも意義ある行為だと信じる。

https://bookscope.thebase.in/items/38659017

もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。