本来儒教道徳は為政者がまず守るべき

 「岳陽楼記」(苑仲淹)にある「先憂後楽」とは、為政者は民衆に先に楽しんでもらって自分は一番後で楽しむのがいいという儒教道徳を説く言葉です。儒教はあまり好きではないが、その真意を歴史はさらにゆがめていると思う。儒教というのはもともと為政者の戒めを説くものです。だのに、いつのまにか、それを民衆に押しつけるようになった。それではその道徳項目の悉くが、本末転倒なのです。
 翻って末端の公務員は、為政者側なのか民衆側なのか。これは、誰に対してかによるので、相対的なものであるが、少なくとも為政者によって儒教道徳を押しつけられるのは本末転倒です。まず一番先に儒教道徳を守るべきは天皇で、その次が政治家や官僚でしょう。そのことをくらまして、民衆の攻撃の矛先をコントロールするために用いられる手法がいわゆる公務員バッシングでしょう。
 繰り返すが、儒教はあまり好きではない。あびの真意としては、為政者から民衆まで皆ができるだけずっと楽しい(広い意味で)ようになるには、どうしたらいいか、全員が立場は違えど対等な意識で創造的に工夫するのが、いいのだと思う。

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