岸のない河 2

(1)は私の書いたものではなく、ALISでしか読めません。

美紅へ

お手紙読みました。
卒業生が覚えてくれて、手紙をくれるのは、とてもとても嬉しいです。
ありがとう。

美紅たちの学年のことはよく覚えてるよ。
僕が卒業させた最後の学年だから。
美紅たちが卒業してもう7年だね。

卒業式の日に皆がくれた想い出写真のコラージュと、寄せ書きは今でもダイニングキッチンに飾っています。

それは僕の宝物です。
それを眺めながら時々、あの頃のことを思い起こしていました。

はっきり言って美紅たちは「問題児」(それは今の学校に適応してないというだけで、僕の中では褒め言葉ですが)だっただけに、

その後、どんな風にやっているのか、
仕事とか恋愛とか、うまくいっているのか、時々コラージュの写真を眺めながら考えていました。

ところで、体のことを心配してくれてありがとう。

実は美紅たちが卒業した次の年、一巡りして、今度は一年生の担任をしていました。

その年度の終了間際の2月、心室細動という瀕死性不整脈で倒れました。

私立恵比寿中学というアイドルグループの松野莉奈って知っているかな?
あの子とほぼ同じ心臓発作です。

13分間、心肺停止して、昔だったら確実に死んじゃってました。

幸い、到着した救急車のAEDの電気ショックで、13分後に心拍だけは戻りました。

でも呼吸と意識は戻らなくて、そのまま病院に搬送されました。

その病院が、循環器系に強い病院だったのもよかったのです。

心拍が停止したときは、脳に酸素が行かなくて、どんどん脳細胞が死んでいくのが危ないんです。
脳細胞は一度死ぬと再生しないから。

病院のICUでは、脳の低温療法で、できるだけ脳細胞の破壊を防いでくれました。

それでも、医師は家族に
「このまま意識が回復せず亡くなる可能性が高いです」
「もし医療が順調にいっても、植物状態のままになる可能性が(次に)高いです」
と説明していたそうです。

それが10日後には意識が回復しました。

身体障碍が残ったものの、またこうして手紙を交わしあうことができるまでになったのは医者も驚く奇跡だったんです。
「宇宙の限りなき働き」に感謝してます。

退院してからは、暫く病休しました。
でも身体障碍が固定と診断されて、車椅子で仕事を続けることができず、退職しました。

首から下には特に身体障碍が見つからないのだけれど、脳の運動系の働きが破損していてすぐ転倒するんです。

好きだった山登りはもうできません。
富士山頂、倒れるまでに登っておいてよかったぁ♪

卒業後すぐ、僕がまだ心室細動を起こす前に、4人で遊園地に遊びに行ったことがあったよね。

あの時、美紅が「先生、メテオに乗ろう」と言ったよね。
あの、椅子に座ったまま垂直に落下するやつ。

僕はあれに乗ったことがなかった。
高いところは苦手だし、あれはジェットコースターより怖いよ。

でも美紅が、「私が隣の椅子に乗るから〜」と僕の腕を引っ張ったよね。

あの時、僕は、考えていた。
子どものときから何度も来たこの遊園地に今度来るのは、いつだろう。
孫がメテオに乗れる身長になった頃かもしれない。
その時僕はおじいさんで、もうメテオには乗れない可能性もあるな。

だから、二つずつ椅子が昇っていくメテオの、美紅の隣に乗ることにした。

椅子はぐんぐん上昇して行って、僕らは二人で空に突き刺さったようだった。

乗らないと言った二人が下で手を振っていたね。


真っ青な空は眩しくて、隣を見ると美紅がこっちを見て笑った。

僕はいつ落下するのかわからなくて、今か今かと思っていた。
カチャンと金属音がした。
その時美紅が「先生、行くで!」って言ったよね。

落下はすごく爽快だった。
美紅以外、どうせ誰にも聞こえないんだから、

僕は思いきり「わあああー」と叫んだ。

美紅、今、思えば、あれが僕がメテオに乗る最初で最後のチャンスだったんだ。
あの時は「また孫と来よう」と考えていた。
でもあれから半年もすると、僕は二度とあの乗り物に乗れない体になったんだ。

でも、驚かないでよ。
僕は旅を諦めていない。
若い時から世界放浪が大好きだったからね。

電動車椅子で北海道や沖縄に行き、自信を得たので、韓国にひとりで行った。
「この電動車椅子で? 日本から、ひとりで来たの?」って、韓国人もびっくりだったよ。

そして今年の二月に台湾に行った時のことは、ALISにもいっぱい記事をあげているよ。

もちろん、もう行けないところ、できないことはある。

学校の教員もやめるしかなかった。

でもね。

代わりにたっぷりの時間を与えられた。

それに、脳の破損を調べる心理テスト、知能テストでは、言葉の能力がまったく破損していなくて、

年齢平均が100だとすると、130だというんだよ。

僕はこの与えられたたっぷりの時間と、残された言葉の力は、宇宙からのギフトだと思っている。

だから、死ぬまでに、たくさんの物語や詩やエッセイを書いて、多くの人たちと分かち合いたいんだ。

だから、今は早い晩年だと思って、読み書きに専念しています。

とにかく、めげない性格なので、身体に障碍があっても、心は元気にやっています!

でも、若い君たちと一緒になって青春気分(笑)で過ごしていた頃の、卒業生の手紙は本当に嬉しいです。

本当にありがとうね。

また、お互いの「あれから」を報告したり「これから」を語り合ったりしようね。

                              一条賢治

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