魂の螺旋ダンス(20)個人史における超越性宗教
・ 軌跡 アニミズムから超越宗教まで
私自身、幼少期は、身の回りのものすべてに精霊が宿っていると感じる、アニミズム的な感性の中に生きていた。
大阪で生まれ育った私にとって、周囲には原生自然や大型の野生動物は失われていた。
それでもわずかに残された自然との交感があった。
蛇、とかげ、ヤモリ、蛙、バッタ、カマキリ、野良猫、野良犬、イタチ、鳥、沢蟹。
小学生の頃、住んでいた実家の裏山に入っていくと、不思議なエメラルドグリーンをした小さな池があった。
そのほとりにいると、あらゆる人間の気配から遠ざかって、完全に自分と自然だけの世界に入ることができた。
茂みに足を踏み入れると、ふいに巨大な鳥がばさばさっと飛び立った。
そのあまりの力強さに私ははっと息を飲んだ。
池の水面は、鏡のように静かだった。
時折、風が吹いて細かな小波が水面を渡った。
私はしばしばその池のほとりに一人で出かけた。
それはこの地上に生まれた自分を確かめ、感じ直す神聖な時間だったように思う。
もし子どもが、このような神聖な時間と場所を一つでも持つことができたら、今、子どもたちに起こっている様々な問題(犯罪に発展しているものも含まれる)は、なかったのではないかと思えなくもない。
思春期が訪れると、私は無限の宇宙の中、永遠の時の流れの中での、自分の小さな人生の「意味」について疑いを抱くようになった。
その点について考え始めると、止めることができなかった。
虚無感としか表現しようのないものが、私を見舞っていた。
時折り、ふいに自分が深い穴に落ちて、そのまま虚空の中へ消えてしまいそうな感覚に襲われ、あわてて何でも手に触れるものを握ることもあった。
私は原初的な「自然との一体感」を失い、裸の個として世界に投げ出されていた。
学校では、そんな私には無関係に勉強と呼ばれるプログラムが日々進行していた。
それにどんな意味があるのか、わからなかった。
かといってそれを無視していると奇妙な焦燥感に苛まれた。
私の虚無感は徐々に肥大していた。
そしてそれが頂点に達したと思えたとき、期せずして「その瞬間」が訪れた。
私は自分の心身が完全にゆるんで、何か巨大な流れの中に落ちていくのを覚えた。
そして「宇宙と自分はひとつだったのだ」という圧倒的な確信が、心身に満ちたのだ。
もっともその圧倒的な至福の感覚はすぐに見失われ、私は翌朝にはもう心身の不全感に悩む元の自分に戻っていた。
私は自分に起こったことがよく理解できなかった。
宗教や精神文化についてもよく知らなかったし、その体験に名前をつけることもできなかった。
ただロック音楽が好きな少年だった当時の私は、ビートルズの「LET IT BE」という曲が、私の体験に近いものを描いているような気がしてしかたなかった。
その歌は「悩みの底でどうしようもなくなったとき、聖母マリアが目の前に現れて『ただあるがままでいなさい』という智慧の言葉を授けてくれた」と歌っていた。
現時点の問題意識で振り返るならば、この体験が私の最初の超越性宗教への目覚めである。
それは原初的な自然との一体感ではなく、ひとたび全くの虚無の中に投げ出された裸の個が、パラドキシカルな飛躍によって宇宙とひとつになるといった恩寵の体験だったように思う。
・ 超越性次元の探求
私は、あの体験こそが、もっともリアルだという考えに取りつかれた。
いろいろな書物を読んでいくと、同じような体験は、神秘体験、宗教体験、至高体験などと呼ばれ、世界中で報告されている事がわかった。
ことにウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』やコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』が、当時の私のバイブルとなった。
だが、再びその体験を起こし、しかも持続させるための方法は、むしろ東洋の古い伝統が握っているようだった。
私はヨーガの世界に関心を持ち、自分なりに瞑想もはじめた。
そして当時通っていた高校でも、友人と共に「スピリチュアル・レボリューション・サークル」というものを起こし、放課後の教室で集まって、ヨーガや密教の修行を試みたり、マントラを唱えたりしはじめたのである。
当時の私や仲間たちが、ヨーガの修行において参考にしたのは、沖正弘、佐保田鶴治のテキストであった。
殊に、佐保田鶴治には、後に宇治の道場で直接指導していただいたこともあり、そのバランスの取れたヨーガ指導には感銘を受けた。
また密教の修行において私たちは、桐山靖雄のテキストを参照にした。
当時の桐山は、まだ阿含宗を起こす前で観音慈恵会として活動しており、『変身の原理』などの著書で注目を浴びていた。
だが、著書には、実際に心身を改造し、神秘体験に深く参入するための技法は、それほど詳しく解説されていたとは言えなかった。
指で結ぶ印(ムドラー)についてはかなり詳しいものもあり、テキストに沿って真似てみたが、たいした体験は得られなかった。
思うのだが、もし私が高校生の頃に、麻原彰晃のような人が日本にいて、ヨーガの技法を詳しく解説していたなら、私たちはそのテキストを用いて、修行を試みたことが、十分に予想される。
そして、そこでなにがしかの結果が得られたならば、その道場の門を叩くのも自然の成り行きであったかもしれない。
事実、私は友人と桐山密教の冥想センターを訪れたことがある。
そして、電磁波などの影響を絶ってヒマラヤ山中と同様のバイブレーションに整えてあるという冥想ルームにも案内してもらった。
が、どこかぴんと来なかったので、深入りすることはなかった。
ところで、麻原は教団を創設する以前、桐山の阿含宗において、三年間の千座行を行い、大きな影響を受けているというではないか。
聞くところによると、麻原が紹介していたクンダリニー・ヨーガの技法に沿って、忠実に訓練すると、比較的短時間のうちに、クンダリニー覚醒など神秘体験が起こるという。また麻原は日本で最初のシャクティパット・グルであると自認していた。
実は、私も二十代になってから、インド人のグル、スワミ・チッドヴィラサーナンダからシャクティパットを受けたことがある。
後に詳しく述べるが、その体験は非常に強烈なものであった。
だからこそ思うのだが、もし私があの高校生の時点で麻原彰晃に出会い、強烈なクンダリニー覚醒を体験していたら、危険なほど惹かれていった可能性もある。
私は、麻原や彼に従った弟子たちと、かなり近い道筋を生きてきたと思う。
それゆえ、彼らのたどった道については、人事ではなく自らの問題と重ね合わせて、色々なことを思い、考えてしまう。
この件については、後ほどグルイズムの問題として詳しく検討しよう。
高校生の時点に話を戻そう。
さらに私は、山田孝雄らの共著『瞑想術入門』(大陸書房)などを読み、クンダリニーやチャクラ、チベット仏教などにもとても関心が惹かれた。
おおえまさのり訳の『チベットの死者の書』に初めて出会ったのもこの頃である。
しかし、結局、私にとってもっともなじみやすかったのは、『ナダーム』(日本教文社)に紹介されている、アメリカ合州国でアレンジされた瞑想法だった。
これは「ナダーム」というマントラ(聖なる言葉)を繰り返し唱え念じる瞑想法である。
「ナダーム」は何の意味もない言葉である。
この瞑想法の指導者たちが、何の意味もない言葉を選んだのは、いずれかの宗教的伝統に縛られることを嫌う人たちのためのようのである。
この言葉の響きは、長くインド・チベットで聖なる宇宙の音とされてきた「AUM」(オーン)にも似ていなくもない。
またヒンズ教で「ナマー」、漢訳の仏典などでは「南無」と表記され「帰命=すべてをゆだねる」という意味を持つ言葉の響きにもとても近い。
(私には「南無」と「let it be」は同じ心持のように感じられる。)
南無阿弥陀仏は「阿弥陀仏にすべてをゆだねる」、南無妙法蓮華経は「法華経にすべてをゆだねる」という意味になるが、いずれも広い意味のマントラとして用いられている。
もちろん、浄土系諸宗、法華経系諸宗においては、それは単なるマントラではなく、詳しい思想的吟味を展開すると、本書は数倍の長さになってしまうのだが。
「ナダーム」は、それら伝統的なマントラから、その響きの公約数を受け継いだ、しかしその思想的な背景は受け継がなかった「現代のマントラ」である。
このマントラを用いた瞑想法は、私にかなりマッチしていた。
数十分の瞑想で、私はサウナにでも入ったような爽快感とじんわりとした気の巡りを感じるに至るのだった。
だが、そこまでだった。
結局、これらヨーガや瞑想の試みから、私は二度と再び、「神秘体験」を得ることはできなかった。
虚無の深淵に落ちるかと思った刹那に予告もなく訪れたあの「宇宙とひとつになった瞬間」。
私はその体験を真実と思い、追い求めていたのだが、その体験は「追い求めることによっては」けっして得ることができなかったのである。
・ 自己受容を通しての自己超越
一方、私はエロスの問題を扱いかね、大きな挫折感を抱くことがしばしばであった。というのも、当時の私は非常に禁欲主義的な考え方に傾いていたのだ。
エロスを否定して、伝統的な修行方法で、「悟り(あの状態!?)」に至り、それを持続させようと意気込んでいた。
だが、意志薄弱で性的な耽溺に戻ってしまう自分がいた。
性的な耽溺は、瞬間的に強烈に充実した感覚を取り戻す魔法のようなものだった。
しかし、その後に訪れる虚無感は、すっかり元の木阿弥か、むしろ、より絶望的だった。
そこで私はまた、「修行」を試みるわけだが、またしても挫折を繰り返す。
そんな事をしているうちに、いつしか原因不明の尿意頻数に見舞われるようになった。
電車に乗って大きな病院に出向いて検査してもらい、結局、神経性のものだと診断された。
その日、神経性の尿意頻数という診断をもらって、安心感と絶望感のないまぜになった思いを抱いたまま、私は帰りに大きな書店に寄った。
その東洋思想のコーナーで私はバグワン・シュリ・ラジニーシの『存在の詩』という本に初めて出会った。
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