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インクルーシブでデモクラティックな学校へ   

2012年の出来事

 「中学のひろば」というけっこう公の冊子から海外教育事情について3000字で書いてほしいという依頼を受けて書いた原稿が、没になりました。
 各学校からの持ち寄りの編集会議の日には差し戻しにならなかったのに、そのあと、数日して没の知らせがありました。
 理由は在外教育施設に派遣されたときの任地校での教育実践や、任地で知った現地の教育事情を書いてほしいという趣旨だったのでということでしたが・・・。しかし、依頼のときには「海外教育事情」としか聞いていなかったので「おかしい」と話したのですが、書き直してほしいまたは辞退してほしいとのことでした。
 「海外教育事情」という枠組での依頼をうまく活かして、公の冊子の誌面を借りて、言いたいことを言ってしまえと思ったのですが、だめでした。

「インクルーシブでデモクラティックな学校へ」     
  私の考えでは、教育の国際比較の重要な指標は、ふたつある。
ひとつは「インクルーシブ志向か、分離志向か」という点である。
一九九四年に採択されたサラマンカ宣言には「このインクルーシブ志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ・・・」とある。が、これを俟つまでもなく、近代教育は常に「インクルーシブ志向」と「分離志向」の間を揺れ動いてきた。
たとえばアメリカ合州国の障害児教育の場合でいえば、民主党政権時には統合教育に振り子が振れ、共和党政権時には分離教育に振り子が振れるということが繰り返され、そのたびに教育や福祉の現場は、政治的思惑に振り回されてきたのである。大阪府下各市におけるこの分野の歴史を見ても、この「政治的翻弄」という現実は人ごとではない。
また人種や民族の包括(インクルージョン)という観点から見るならば、かつて合州国には差別撤廃バス通学運動というものがあった。これは貧しいマイノリティの居住区と、裕福な白人居住区が分離している現状を踏まえ、児童・生徒をバスで遠距離通学させることによって彼らの混在する「人種統合された学校」を実現しようとするものだった。かつて大阪府下の広い地域で展開された「地元集中運動」は、誰もが居住地の学校に通学することで、多様な子どもの通う地域に根ざした学校を創っていこうとするものだった。「バス通学運動」はそれと手段は逆であるが、目的が同じである。
しかし、バス通学運動においてはその後、人種統合を嫌った高収入の白人がさらに郊外に転出したり、私立校を選択するなどの問題が生じた。また目的のために強制が行われているという批判に曝され続けた。
そこで続いて打ち出されたのが「マグネットスクール」という方法であった。これはマイノリティの居住区に特色をもった魅力的な学校を創り、遠距離から多様な児童・生徒を引き寄せる磁石の働きをさせるというものだった。ところが、人種差別撤廃を目的としていたはずのマグネットスクールが、新手のエリート養成校のようになるという、本来の目的からの逸脱という問題も起こっている。
また、障害のある児童・生徒と共に学ぶこと自体を学校の特色とするマグネットスクールを創ることは、ひとつのパラドックスである。本来あるべき自然な共生が、わざわざデザインされ、まるで商品のように選択の対象となってしまう。
しかし、常にパラドックスに悩まされながらも、合州国や諸外国においては、多様なオルタナティブスクール運動が展開されてきた。(長澤靖浩「アメリカにおけるオルタナティブ・スクールの潮流 モンテッソーリ・スクールを中心に」 在外教育施設における指導実践記録第二十集 東京学芸大学海外子女教育センター 一九九七年)
それは基本的には歓迎されるべきものだろう。なぜなら、そこには、教育とは国家統制されるものではけっしてなく、人間の多様な可能性に向かって民主主義的に探求されるものであるという、基本的に前向きな理念が横たわっているからである。

 そう、私の考えでは、教育の国際比較におけるもうひとつの重要な指標は「民主的か、国家統制的か」である。
 たとえば、デンマークでは親たちが自分たちの理念と方法で学校を創ることが盛んであり、それには公的な援助も得られる。そしてそのようなチャータースクール運動の最大のネットワークは「国家による教育統制に反対する親の会」である。
京都府京田辺市のシュタイナースクールに通う子が、居住地の大阪府下の市教育委員会から「諸権利を認められない措置」を受けた例などと比べると、彼我の違いに慄然とする。
 世界のオルタナティブスクールの中でも、サドベリースクールは、運営自体が高度に民主的である。そこでは、生徒とスタッフで構成されるスクール・ミーティングによって、ルールが決定され運営される。ただし保護者の運営への参加は非常に限定的であり、ここに地域教育協議会などの発想とは異なるものを感じる。主役があくまでも子どもであることの徹底である。一律に強制されるカリキュラムや年齢別のクラスなどは存在せず、同じテーマで学ぶ者がグループを形成して協力することで文字通り学問が追究されていく。
 翻ってみるに、日本の学校教育は与えられた学習指導要領に基づいて教え込むという面がとても強い。そして、それは是正されるどころかますます融通の利かないものとなってきていると言わざるをえない。
 「学びの共同体」などの一斉授業以外の取り組みももちろんその枠内にある。教員が提示した教材や資料を元に話し合う限り、結論は初めから仕組まれたものだからである。実際、「学びの共同体」の先進的な実践校の研究授業などでは、原発の利点のみを記述した資料を用いて討議させるなどの例も見られ、気持ちが暗澹とした。
 他に世界の多くの学校が日本と異なる点について列挙してみよう。
世界の多くの学校では、夏休みは二ヶ月以上ある。しかもその夏休みの宿題はない。一クラスの人数は一五人ぐらいである。音楽・美術・体育・技術家庭などは学校で学ばない場合が多い。クラブ活動はない。自分のやりたいスポーツは自分で学校外のチームに入って行う。健康診断、身体測定などは学校では行わず、保健や医療に関することは各自が医療機関で実施する。ただし、必要に応じて結果を学校に提出することはある。宿泊学習なども学校から行くのではなく、民間団体主催のキャンプなどに参加する。多くの国では国旗・国歌は学校では扱わない。
 このように見てくるとき、総じて言えることは、まず日本では学校に詰め込まれている中身(使命)が過大であることである。学問だけではなく、身体や心の問題まで学校がコントロールすることを求められている。授業日数も多く、学校以外の自由で豊かな時間が子どもたちに保障されていない。これは学校の非民主的な在り方と相俟って、子ども時代を大きく歪める原因となっている。
また中身が過大であることに反比例して条件整備が遅れているという点も目立つ。特に一クラスの人数の多いことは致命的な欠陥である。関連して、生徒数あたりの教員数も少ない。しかもその少ない教員についても正規労働者が減り続けている。即ち、教育予算が非常に劣悪である。実はインクルーシブな学校の実現のためにも、最も重要なことは多様な子どもが安心して通える学校にするための教育条件の整備であるにもかかわらず。
 海外教育事情を知り、日本の姿を振り返るとき、大事なことは海外のやり方の付け刃的な導入ではけっしてない。日本には日本の文化や国情がある。よりインクルーシブで、デモクラティックな学校を創造していくためには、わが国ではどのような道筋を辿ればいいのかを考えることこそ肝要である。
日本の学校が、よりインクルーシブで、デモクラティックなものになり、子どもたちの笑顔が花開きつづけることを願ってやまない。

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