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生きていてよかったなぁ

のこすことば文学賞(福井県若狭町)第5回受賞作品 佳作より
2007年 ( 作品内の年代は1997年)  一部推敲
 

「生きていてよかったなぁ」   長澤靖浩 

 その年、中学3年生のクラスの副担任をしていた僕は、修学旅行で、自分が副担任しているクラスではなく、K君のいるクラスに付きそうよう学年会議で配置された。

 養護教育のキャリアを買われたのか?

 Kは重度のダウン症のため、言葉によるやりとりはほとんどできなかった。
 だが、持ち前のやさしくひょうきんなキャラクターもあって、クラスメートからは「Kちゃん、Kちゃん」と親しまれていた。

 中学卒業後は養護学校に進学する予定だったKにとって、この修学旅行には他の生徒以上に大きな意味があった。

 生まれたときから、地域でともに過ごしてきた友人たちとの最後の旅行になると思われた。

 修学旅行の最後の夜、担任のF先生は、ぜひKに皆と一緒にお風呂に入らせたいと言った。

 手術で人口肛門をつけていたKはいつ便をするかわからなかった。

 特にお風呂は温かく、リラックスして体も緩んでしまうのか、湯船に便をすることが多かった。

 そのため、この二日間は皆と一緒に大浴場に入るのは控え、教員が交代で部屋の小さなバスで介助しながら入浴させていたのである。

 しかし、今夜を逃せばもう、Kは一生、幼いころから一緒に野山を駆けまわった地域の仲間と一緒にお風呂に入ることなどないかもしれない。

 短い時間、クラスメートと一緒に湯船につかるだけなら、Kなりに体が自然に状況を理解して、便をせずに上がるかもしれない。

 それに賭けてみようとF先生は言った。

 クラスメートの誰も反対しなかった。

 それはF先生のふだんからのクラスづくりが成功しているからだ。

 クラスには、Kを特別扱いしたり、排除する雰囲気は微塵もなかった。

 日常の学校生活でも、介助の係を決めて交代制にしなくても、自然にその時に気づいた生徒が、必要な助けを行っていた。

 また、子どもたちは、Kが言うことを聞かず、授業の邪魔になるときは、遠慮なく「うるさい。黙っとけ」などと注意したりもした。

 クラスメートに注意されると、人の事情を察したKは、静かにすることが多かった。

 何よりも幼稚園、小学校、中学校と、それが当たり前のこととして過ごしてきたのだ。

 よくも悪くもKだけを特別扱いするのではなく、クラスメートのひとりとして接してきたのだ。

 その長い蓄積の上に今日の修学旅行がある。

 だから、Kが授業中に時々便をして、先生に介助トイレに連れていかれるのを知っているクラスメートの誰も、同じ湯船にKが入ることに反対しないのだ。

 F先生が洗い場でKを介助して、頭や体を洗い、僕が脱衣場で待機して、出てきたKを拭いて服を着せることになった。

 脱衣場で待っていると、浴場からは賑やかに談笑する生徒たちの声が響いていた。

 よかったなあ、皆と一緒にお風呂に入れて。

 こんな当たり前のことがもうすぐできなくなるんだなあ。

 「N先生~」

 「はぁーい」

 「そろそろです」

 とF先生の声がした。

 僕が脱衣場でバスタオルを広げて待ち構えていると、がらっと引き戸が開き、「お願いしまーす」というF先生の声とともに、Kが胸のあたりで両手をヒラヒラさせながら飛び出してきた。

 僕はそんな彼を広げたバスタオルで受け止めた。

 ほかの誰かの体をバスタオルで拭くのは、自分の子どもの小さかった頃以来のことだ。

 「懐かしい感覚だな」と思いながら、まず髪の毛をタオルにくるんでごしごし拭いていると、Kは満足げに口をもぐもぐさせて微笑んでいる。

 「よかったなぁ。皆と一緒にお風呂に入れて」

 僕は言葉に出してそう呟きながら、今度は体を拭き始める。

 と、Kの胸の真ん中には、ざっくりと鉤状になった手術の傷跡があった。

 見るだけで痛々しい。

 脇をあげさせて横腹を拭くとそこにも別の手術跡があった。

 命にかかわるたくさんの障碍を抱えてKは生まれた。

 生まれてすぐにいくつもの手術を受けて命を取りとめた。

 それからも何度も、追加の手術を受けた。

 その話はお母さんの手紙に託されて、クラスで朗読されたことがあった。

 僕も十九歳のときに両肺を手術したことがあった。

 術後の麻酔が切れた後は、一晩中、鉛に押しつぶされるような痛みと苦しみで、嵐にもまれる小舟のようだった。

 こんな痛みというものが存在するなら、初めから生まれないほうがマシだったとさえ思った。

   体にメスを入れることは、十九の大の男にとってすら、それほど辛いことだった。

 それなのに・・・僕はKを拭きながら、赤ちゃんだった頃の自分の子どもの小さな体を思い出した。

 産まれたばかりのあんな華奢な体に次々とメスを入れなければいけなかったのかと想うと、いたたまれない気持ちになった。

 「手術、痛かったやろ。辛かったやろ。なんでこんな目に合うのか、わからんかったやろ」

 「でもなあ、いっぱい手術をしてもらって、命を取りとめて生きててよかったなあ」

 「今日、皆と一緒にお風呂に入れて、ほんまによかったなあ」

 脱衣所でKとふたりきりだった。

 言葉のわからないKにそんな風に言葉をかけながら拭いているうち、涙がこぼれてきた。

 そんな僕の気持ちを知ってか、知らずか、Kは茹蛸のようにほてった顔で、幸せそうに微笑んでいた。


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