魂の螺旋ダンス(28)朝家のための念仏とは

 ・朝家のための念仏とは

 建長八年、親鸞八四歳の頃に性信に送った消息の中に「朝家の御ため、国民のために、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」がある。

 この文言は戦時教学において、徹底的に悪用された。


 朝廷を中心とした国家の安穏のために念仏をするべしという教えが巨大な真宗教団によって広められた。


 折りしも、東西両本願寺を代表する学僧たちは、あろうことか、阿弥陀仏と天皇を重ね合わせて見る思想を開陳しはじめた。

 著名な学僧の殆ど悉くがである。

 このような戦時の学僧たちの発言は、明らかに親鸞の残した著作や言葉から逸脱している。


 キリスト教の世界では、灯台社の明石順三などが天皇の神的権威を否定し、殺人を罪として兵役を拒否するなどの活動が見られた。

 明石を含む灯台社のメンバーは治安維持法などによって大量に検挙された。


 戦後、明石らは釈放された。


 が、本来同一の信仰団体であってしかるべき戦後の「ものみの塔」は、明石らの歩んだ道と切断され、新たにアメリカから流入したものである。

 訪問布教や最近では駅前での冊子配布などでよく知られる現在の「ものみの塔」の信者(エホヴァの証人)には、驚いたことに明石らの歩んだ道について知らない人も多い。


 ところが、良くも悪くも様々な側面でキリスト教と相似形を成してきたはずの真宗教団ではそのような抵抗運動すら起こらなかった。


 治安維持法下の大日本帝国における抵抗は命がけであることは理解できる。

 問題は、戦後なお、真宗教団を代表する学僧たちは、戦時の発言についての総括や反省を経ないまま、教団の中枢や宗門大学の教授の地位に止まり続けた点の方が大きいかもしれない。


 その曖昧な連続性と、戦後の平和憲法の下での教団の左翼化とは不思議な共存を成してきた。

 一方では、戦時教学批判は、曲がりなりにも進められてきた。

 ところが、時代の変化と共に社会全体の右傾化が進み、今また教団の果たす役割が、どちらに振り子を振るのかは予断を許さない状況になっている。


 そんな中、戦時教学に徹底して利用された親鸞自身の言葉「朝家の御ため、国民のために、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」について、その真意を改めて明確にしておくことは重要と考える。


 この点について、私が最も示唆に富むと考えているのは、古田武彦の『わたしひとりの親鸞』の中、古田が過去の思想家の言説を分析してきた上で、「わたしの理解」という章を設けて開陳している考察である。


 この文言の含まれる消息(手紙)を親鸞が性信に送ったちょうど同じ頃、親鸞は『正像末和讃』において、念仏弾圧の激しさを心底嘆いている。


 「五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそひて 念仏信ずる人を見て 疑謗破滅さかりなり」


 「五つの濁りの時代となると、僧侶もそうでない世間の人々も互いに争い、 念仏の教えを信じる人を見ては疑い謗り、 盛んに討ち滅ぼそうとする」


 ここで「道=僧侶」も「俗=そうでない世間の人々」もと呼ばれているのは、どのような人々であろうか。


 このことを裏付ける別の消息として、古田は次の文言を挙げている。

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