ダ・ヴィンチ・コード論争の記録

facebookから出てきました。
2016年。

 ダ・ヴィンチ論を展開していた他の方のページで、ディズニーのピーターパンにおける聖杯の交わりについてのあび(私)の自論を引用しました。すると、ダ・ヴィンチコードはまったくの妄想だという意見があって、逆三角形はキリスト教の伝統の中で三位一体を表すものであり、聖杯を表すという考えはほとんど見られないということでした。なるほど。「正統的」キリスト教の歴史においてそうだというのは、深く納得。
 しかし、ダン・ブラウンが作家として(学者としてではない)「ダ・ヴィンチコード」で挑戦したのは、キリストその人の思想の隠れた水脈を掘り起こそうとした人は、歴史上に細々といたし、ダ・ヴィンチもそのひとりだという説の展開でしょう。これは正統的キリスト教の伝統から見ると「妄想」というほかないでしょう。しかし、「妄想」は作家の「商売」であって、良いようにいえば創造的想像または想像的創造でしょう。また小説であると公言しているからには、仮に妄想だったとしても罪はほとんどないと思います。
 また三位一体の教義は初期キリスト教にはなく、ローマ国教化を経て定着したと記憶すると書くと、初期キリスト教にも三位一体の教義はあったという反論があったので、書斎(はっきり言ってなんでもあると思ってもらっていい)に行って調べ直しました。
 少しあびの文章を引用します。

 僕の読んだ本は「キリスト教新講」由木康著でした。1985年の本なので、20代のときに読んだものです。
整理すると
マタイ、コリント人への手紙などにも、父、子、聖霊は出てくるが並列されているだけである。
三者という言葉を初めて使ったのは、テオフィロス(180年頃)であり、さらにそこから三一者という言葉をつくりだしたのは、テルトゥリアヌス(200年頃)である。
三一神という考え方が始まったのは紀元200年頃、キリスト教信徒の中心が、ユダヤ人から、ギリシア人やローマ人に移ったのちなのである。
これらの異邦人は、相関的、体系的に考察する構想力に富んでいたからである。
その後、この三者の関係性について、様々な論議があったが
5世紀初頭のアウグスティヌスを経て
「三つの位格、ひとつの実体」という表現に達し論議は終結、
キリスト教の中に定着した。
(引用終わり)

 確かにアタナシウス派は三位一体論を展開し、第一ニカイア会議では、アタナシウス派が正しいとされた。しかし、

(再びあびの文章を引用)
WIKIによれば、第一ニカイア公会議後も
「会議は一連の問題の議決およびアリウスとその一派の追放を決定して閉会した。しかし、この後も政治的な意図と神学論争を含んだ争いによって一度はアリウスの名誉回復がおこなわれ、アタナシオスたちが弾劾されるなど状況は二転三転、三位一体論争の解決にはなお多くの時間がかかることとなった。」
とあるので、やはり三位一体の教義的安定はアウグスティヌスをまって成立したとするべきではないでしょうか?
(引用終わり)

僕自身の結論部はこうです。
(引用)
僕にはダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチコード」が妄想であるかないかは、断言できません。ただ小説家としての彼が挑戦しているのは、ローマ国教化したキリスト教に支配されている現代世界において、イエスその人はそもそも何を追求し、何を語っていたのかについての「作家の創造的想像」というべきものだという気がします。小説である限り、それが仮に妄想であっても、罪は特にないと思います。
むしろぼくは、キリスト教の歴史において、隠れた水脈を掘り出そうとした人々は細々と存在していたという「ヴィジョン」に共感を覚えます。これはダ・ヴィンチに限らない話として。
学問となると正統とされるキリスト教の伝統の中での(聖書の同じ場面を描いた)絵画の(図法の)一致や例外の研究が、正当な手順だというのは理解できます。そしてその意味においては(そういった研究は単なる直感と異なり)客観的な説得力を持つものであるというのも納得します。
しかし、もしここに「正統的なキリスト教と言われているものがなんぼのもの?」と考えている人がいたとしたら、「ああ、それは西欧の正統派とされるキリスト教内部における、その伝統を背景とした歴史的検証を重んじる芸術論ですよね」と言われて、そこで道が分かれてしまうようにも思います。しかし、西洋の絵画論には、ほとんど常にこれがついてまわるのは、理解できます。
(引用終わり)
(      )は対話の中で読むとわかるが、僕の文章しか引用しないとわかりにくいので補足しました。

もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。