無上涅槃メモ

僕は本当は矛盾だらけの浄土教の解釈にはまるのは人生の無駄と思います。
浄土は修行しやすいところで、無上涅槃ではない。通常は、人間しか仏に成れぬが、浄土からは直接、仏になることもできるから、兜率天の内宮みたいなものかと思えば辻褄は合う。それから仏になった存在?が、悟るためでなく、大悲ゆえにまた穢土に生まれることができる。しかし、こんな神話にはまるのは、人生の無駄でしょう。

本当は、一切の存在は、無上涅槃の永遠の今ここの空から、光になり、さらに物質になって、時空の中にやってきた。それは修行と大悲を兼ねていて、全員がそう。仏教に出会っても出会わなくても、犬でも鳥でも花でも雲でも同じこと。互いに照らしあって無上涅槃を思い出す。それは脚下に常に広がるが、死ぬまでは修行と大悲を兼ねます。解放されていて、かつカルマにとらえられています。恋人と喧嘩しているとき、典型的にわかります。


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