見出し画像

この世に投げ返されて(1)~(10) ~臨死体験と生きていることの奇跡~ 


この世に投げ返されて

〜臨死体験と生きている奇跡〜        ひかる


(1)

 2013年のことでした。

当時の私は、公立中学校の先生として日々激務に追われていました。

 2月の寒い日曜日。

私は小さなライブ会場で、好きな音楽を聴いて踊っていました。

その私を突然、心室細動と呼ばれる心臓発作が襲ったのです。

心臓が細かく震え、正常な心拍を打たなくなってしまう症状です。

後に主治医に尋ねたところによると、心臓にも血管にも特に大きな疾患は見つからなかったそうです。

日々の体の疲れと心労が限界に達していたのかもしれません。

その心室細動は原因が不明でした。

私はライブ会場で突然、昏倒してしまいました。

会場にいたどなたかが、救急車を呼んでくださいました。

間もなく到着した救急隊員は、心肺が停止しているのを確認すると、A.E.D.(自動体外式除細動器)を用いました。

幸い、一回目の電気ショックで、心臓の微細動は鎮まりました。

心臓が正常な心拍を打ち始めたのです。

119番の電話がかかってから、心拍が戻るまでの時間から、救急隊員は私の心肺停止時間を推測しました。

それによると、私の心肺停止時間はおよそ13分間だったと概算されたそうです。

心肺停止とはいわゆる死を意味すると言っても過言ではありません。

ただし、すぐに心臓が心拍を取り戻し、肺が呼吸によって酸素の供給を再開すれば、死の淵からの蘇生は可能です。

しかし、13分間の心肺停止は、あまりにも長すぎました。

酸素を供給されなくなった脳では、すぐに脳細胞の破壊が始まります。

そしてそれが13分間続いたならば、脳は回復不能なまでに破壊されてしまいます。

この時点で、救急隊員は私が意識を回復しないままに死亡してしまうことを第一の可能性として予測しました。

仮に命をとりとめたとしても、意識は回復せず、延命措置による長い植物状態の後に結局は帰らぬ人となることが予測されました。

もしもこのとき、妻子など、延命措置を望む、望まないの判断をする権限のある人が居合わせたなら、人工呼吸器にはつながないという選択肢がありました。

そう、私は心拍こそ打ち始めたものの、肺は自発呼吸を始めておらず、機械に繋がない限り、そのまま再び心臓が停止し、死んでしまうところだったのです。

しかし、親族が延命措置を望まないか、私自身が延命措置を望まないという意志を元気なときに明言していない限り、救急隊員には、人工呼吸器に繋ぐ義務がありました。

私は救急車の人工呼吸器に繋がれ、そのまま近くの大きな病院に運ばれたのです。

循環器病棟が比較的充実していたその病院で、私はできる限り脳細胞の破壊を食い止めるため、脳を低温に保つ療法を施されました。

しかし、それまでの経過報告を聞いた医者も、私には殆ど回復の見込みがないと考えていました。

心肺停止時間が長すぎたのです。

駆けつけた家族にも、医者は、私がこのまま意識を回復せずに死ぬだろうことを話さざるをえなかったのです。

なんとか命をとりとめたとしても、意識は回復せず、機械に繋がれたまま、長い昏睡状態を続けることが予想されました。

ただ、人工呼吸器に繋がれた私はこの時点ではまだ命ある存在でした。

そして、いったん人工呼吸器に繋いだ以上、生きている病人からそれを故意に取り外すことは、法的に許されていなかったのです。

たとえ、妻子でも、人工呼吸器に繋がない判断はできても、いったん繋いだ人工呼吸器を取り外す判断は許されていないそうです。

選択の余地なく私はいつ果てるともない昏睡状態に入ったのです。


(2)

この世から見ると、私は長い昏睡状態にありました。

しかし、そのとき私は人々によって臨死体験と呼ばれている状態にありました。

この本で私は筆舌に尽くしがたいその臨死体験を、できる限りこの世の言葉で表現しようとしています。

私が長い間、その不可思議な体験について本格的に語ろうとしなかったのには、ひとつの重大なわけがあります。

その体験はあまりにも安らぎと至福に満ちていました。一方、私の生きている現実の世界はますます混迷を深めています。ごく一部の超富裕層に支配されたとんでもない世界への道をひた走っています。

私は臨死体験といった特異な体験を語ることで差別されることは恐れません。

私が恐れたのはあまりにも安らぎと至福に満ちたその世界を語ることが、人々に死への憧れを惹き起こすことなのです。

私はこの本で臨死体験について、この世の言葉を使ってできるだけわかりやすく語るつもりです。

しかし、それは読者の皆さんに死への憧れをかきたて、こんな苦しいこの世を去って、早く死んでしまいたいと思うようになってもらうためではありません。

そうではなく逆に生きていることは奇跡であることを伝えるためなのです。生きているだけで奇跡であることを伝えるためなのです。

この世での縁が尽きて、本当の永久的な死が訪れるその日まで、あるがままの自己を融通無碍に踊りきってほしいからなのです。

死後の世界に安心することで、それを早めることを願っているのではありません。

根源的な安心を生きることの基本にもち、今ここに生きていることの奇跡を十全に味わい、分かち合いたいのです。

その意味でこの本は、臨死体験の奇跡を語る本ではありません。

臨死体験から逆照射される、生きていることの奇跡を語る本です。

私は臨死体験後、身体障碍者となった人生を生きてくる中、以前よりますます、生きている今ここが奇跡であることをひしひしと実感するようになりました。

そして最近やっと、臨死体験を語ることで死後の世界の情報を伝えるよりも、生きていることの奇跡を伝えることができる手応えを感じ始めました。

そんな今であるからこそ、あの体験を全部語ろう、そしてこの世に投げ返されてからの自分の生を語ろうと思ったのです。

そして生と死は別々のものではなく、死を語ることはそのまま生を語ることだと言いたいのです。

今ここを生ききるためにこそ、生と死をひとつのものとして語りたいのです。

それでは、私と一緒に生死を超えていく扉を開いていきましょう。


(3) 

死後の世界とはどのようなものなのでしょうか。

それをこの世の言葉で語ることは限りなく不可能に近い試みです。それと同じように臨死体験について語るのも不可能に近いのです。

なぜならその世界にはこの世の時間や空間の中で使うのに便利な言葉というものの性質が殆ど当てはまらないからです。

「あなたの臨死体験はどのようなものでしたか?」と聞かれて、人々が応える中身が多種多様なのは、体験した精神的な領域の違いのせいもあるのかもしれません。しかし、それ以上に大きな問題は、それぞれの人はこの世に還ってきてから、振り返って想起したその世界を自分の脳の描き出すパターンに沿ってしか語ることができないということなのです。

そこにはその人自身がこの世で持っている物の見方、考え方、気持ち、文化的背景、芸術的な表現力など様々な要素が作用します。

ですから、私は私の語れるようにしかそれを語ることができません。しかし、私はできるだけ、いろいろな角度から語ってみたいと思います。


私は、深い昏睡状態のまま、循環器病棟のどの医師からも、「このまま意識を回復せずに死ぬだろう」と言われていました。ICU(集中治療室)での昏睡が一週間以上続いたあと、

家族はひとつの決断に迫られていました。

 それは口元から酸素を送り続けていた人工呼吸器を、喉を切開して気道に直接繋ぐかどうかという判断です。というのも、口元からの人工呼吸はなんらかのウイルスや細菌に感染する確率が高く、感染症からくる肺炎などで早期に命を落とす危険性がありました。

 逆に気道切開して呼吸器に直接繋ぐことは、植物状態のままだとしても、さらに長い期間、命を永らえるであろう延命措置に踏み切ることを意味していました。妻子や母、弟などが相談していましたが、結論は出ず、「近々決断してください」という医者の言葉は宙をさまようままでした。

 ところがその決断のためのタイムリミットが迫ってきた頃、私の体は時々、びくっ、びくんと断続的な痙攣を見せるようになったのです。それを見ていた弟は異様な光景に驚いて、看護師に報告しました。様子を見て看護師は長年の経験から、このように言ったそうです。

 「意識が回復するときの徴候です。体に戻ってきているのですね」

 「体に戻ってきている」という表現はとても意味深長です。看護師は、後に私が述べるような意識が全宇宙に広がって、また身体に戻ってくるようないわゆる「臨死体験」を想定していたわけでも、体を離れた浮遊する魂のようなものが再び体の中に入っていくことを想定していたわけでもないでしょう。そのような「非科学的な」医学教育などは受けていないからです。

 しかし、長年の経験から、体の痙攣を「戻ってきている」と直感的な言葉遣いで表現したようです。実際、それからほどなくして、私は朦朧とした中にも意識を取り戻し、自発呼吸を回復しました。そして、目を見開いて何やらうわ言を言い始めたというのです。

 ちょうどそのような状態のときに見舞いに来た中学時代からの親友は、「ひかるさんはまだICUにおられるのですが、意識が回復してきています。本人が会うと言えば、特別にお会いになりますか」と言われたそうです。

 本来、ICUには家族しか立ち入ることはできないのですが、その時の私にはこちら側の世界からの刺激や働きかけが、もっと意識がはっきりしてくるために極めて有効であるという事情もあったのかもしれません。

 その親友がICUを訪れると、たくさんの管に繋がれてベッドに横たわったままの私は開口一番「おお。何しに来てん?」と言ったそうです。

 「何しに来てんってお前、死ぬとこやってんぞ」

 「それやけどな。それどころやないんや。すごいことがわかったぞ」

 「なんの話や」

 「なにもかもわかったぞ」

 「なにがや?」

 「なにもかもや。全部わかった。それでもう何の不足もなかったんやが。まだこの世にはすることがあるから戻ってきたんや」

 「することて何や?」

 「おお、まあ、世界平和かな」

 「何言うてんねん」

 彼は後に、気がついたばかりの私が確かにそのようなことをうわ言のように言っていたと語ってくれました。正直、ちょっとおかしくなっていると思ったそうです。

しかし、意識が朦朧としたままだったせいもあり、私自身は全く覚えていません。ただ、確かに私はそのように言ったそうです。そして、徐々に意識がはっきりしてくるに連れて、私は昏睡状態の間に体験したことを語り始めました。

 臨死体験を。


(4)

 その臨死体験は、実際の死に等しい心肺停止の最初の13分間に起こったものなのでしょうか。それとも、10日間の昏睡状態の間、ずっと続いていたものなのでしょうか。

 それはどちらともいえないし、どちらでもいいようにも思います。というのも、時空を超えた世界では、一瞬のうちにも永遠を経験するからです。

 ひとたびその世界を知ると、これまでの時間の概念がすべて崩れ去ります。不思議なことに心室細動を起こす一ヵ月ほど前から毎夜、星天が異様に美しかったのです。今にも切れそうなほど細い指輪の欠片のような月が煌めくのを見て、もうすぐ自分は死ぬのではないかとふと思ったことを覚えています。その実景と臨死体験中の光景がぴたりと重なって、もうその夜空を見上げていたときに臨死体験は始まっていたのではないかと訝しく思うほどです。

 生と死、時間と空間が入れ子になってメビウスの輪を成しています。


 意識が回復した直後、私は「すべてがわかった」と口走っていました。そしてそれについて語らねばならないという使命感のようなものを持っていました。その話をすると、私の著書をよく読んでくれていた、ある年下の友人は小さな録音機を見舞いに持ってきてくれました。

 「わかったことを全部話してこれに録音してください」と彼は言うのでした。私はまだ指が思うように動かず、文字を書くことができなかったので、これはよいアイディアだと色めきたちました。

 「これに宇宙の構造の真実を吹き込むことができる。人類の夜明けだ」と私は興奮していたらしいです。そのようにその友人は後に私に話しました。私は全知全能のような状態から、この世に帰還してきたという感覚に見舞われていて、エキセントリックになっていたのかもしれません。

 ところが残念なことには、私がその録音機に吹き込んでいる言葉は、後で聞くと、発音も意味も不明瞭でいったい何を言っているのか、殆ど何もわからないのでした。ある種の宇宙語のようなものです。

 また私は指が動くようになると、黒のサインペンを握りしめ、白いコピー用紙にくねくねとした曲線で、図や文字を書きつけ始めました。古代の遺跡から出てきた甕に解読不可能な文字や、地球には存在しない生き物の絵が描かれているような具合でした。それはうねりながら繋がりあって、全体がひとつの紋様になっていました。あらゆる場所に渦のような、螺旋のようなものが伸びたり絡まったりしています。

 しかし、残念ながら意識がはっきりしてきてからそれを見ると、やはり絵も文字も何を表現しようとしているのか、まったくわからないのでした。

私は精神の病のような状態に過ぎなかったのでしょうか。

しかし、あの回復直後の私を包んでいた、存在のありようのすべてが解き明かされたという感覚だけは、今も不思議な実感として私を包んでいます。

 日を経るに従って、朦朧とした脳が少しずつ理路整然としてきました。呂律の回らなかった口もしっかりとした発語ができるようになってきました。脳神経回路を、この世の現実に整合するように再び形成し始めたのでしょうか。 

 だが、人々に理解される発語が増えるに連れ、私の中からは無条件の全知全能感のようなものはむしろ薄れていったのでした。

それからやっと私はどこか釣り合いのとれた一点を探し始めました。あの世界をこの世においてそのままに表現することは不可能なのです。この世には独特のしきたりに沿った表現体系があります。それに沿ってイメージを言葉に変えていかない限り、人に伝わる表現は成立しないのでした。

そのように悟った頃には、私からは全知全能感はもはや喪われていました。けれどもその替わりに、私はあの世とこの世をなんとかして繋ぎ止める回路を見つけようとしていました。

それは大変もどかしいことでした。できることなら、あの世からこの世に吹き抜けてくる風を、吹くがままにまかせていたかったのです。

それがどのような風であるのか、色も形もない風の姿を言葉で説明することはどれほどナンセンスなことでしょうか。しかし、それをするしか、臨死体験をこの世で表現することはできないと覚悟せざるをえませんでした。

このようにして私は臨死体験を表すための詩や発句を書き始めました。

最初に書いた詩はこのようなものでした。


切り立った峰を

帆を張った

幽霊船が

風に吹かれて離れる


仄暗い蛹(さなぎ)の中

細胞が溶けて流れる

まだ濡れそぼった羽で

背中の殻を破り

今ふたたびの誕生


金の指輪の

欠片(かけら)のような

細い月

星集(すだ)く宇宙

無数の蛹(さなぎ)から

蝶が羽化して

飛びたつ


蝶たちは

地球と火星の間に

虹のアーチを架けて

渡っていく


無限の闇を

螺旋状(らせんじょう)に舞いながら

踊る蝶

銀河の桜吹雪


時空の桎梏(しっこく)での

使命を終えた蝶たちは

空間と時間の尽きる

宇宙の果てで

光に還る


(5)

さらに私はとうとう散文で、その世界を説明することも始めたのです。

 そのように試みることは、実際の臨死体験の全体性をどこか損ねる面があることを私は意識していました。今思えば、回復初期に私が口走っていたうわ言の方が実際の臨死体験のテイストに近い何かだったのかもしれません。

 私は残りの一生を様々なポエジーを通じて、文学や音楽でその全体性を表現しようとし続けるのかもしれません。あるいは、生と死を超えた全体性の表現とは、この世の成り立ち、生業、業縁異なってをも尊重することですから、その仕事の全体像はさらに複雑なものになるのかもしれません。

しかし、今は腹を決めて、なるべくこの世で通用する言葉で、訥々と臨死体験を語り始めましょう。


私の臨死体験は、それまでに私が書物なので読んだことのあるどのような記録とも異なっていました。

書物によく描かれているような長いトンネルや、その先に抜けた場所に広がるお花畑も見ませんでした。トンネルやお花畑のイメージは、クリスチャンを初めとする欧米人の臨死体験にしばしば登場します。キリストそのものや、老人の姿をした人格神に会う人もいます。

あるいは限りなく眩しい光の存在に会う人もいます。光という抽象的なレベルになると、その遭遇は生前の具体的な宗教に左右されることなく、広い地域にわたってやや普遍的に見られるイメージとなります。

また私は三途の川も見ませんでした。川の向こうに、先に亡くなった親類縁者が現れて、「お前はまだこっちに来るな。生きている世界に戻れ」と諭されるようなこともありませんでした。このようなイメージは、やはりこの世の生活の中で、死後の世界についてのそのような物語が日常的に語られる日本のような文化圏の中でしばしば報告されます。

このように、臨死体験で経験される中身が、生前の宗教や文化に影響されたイメージを纏う現象をとらえて、それは脳の作り出した夢に過ぎないのだと論じる人もいます。

しかし、私はそうは考えません。それはその人が筆舌に尽くしがたい臨死体験を語るときに採用した手身近なイメージではあります。具体的なイメージに翻訳(変換)して語ろうとするとき、色も形も音もない五感や思考を超えた世界を、自分の慣れ親しんでいるイメージを借用して表現しようとするのは、仕方のないこととも、至極当然のこととも言えるのではないでしょうか。

あの世そのものがそのような具体的な姿をして「実在している」と考えるのは確かに早とちりなことかもしれません。それなら、多種多様なあの世がそれぞれの人に応じて無数に実在していることになってしまいます。

そうではなく、もっと遥かに具体性を超えた、この世のイメージでは語ることの到底不可能な「源泉」があるのだと考えてみてはどうでしょうか。その多くは心肺停止に陥り、脳が低酸素状態で殆ど機能していないときにこそ、発動するのです。

(後に述べるようにそれでも脳の中の松果体だけはDMTを大量に放出しているのかもしれない。また量子脳論では脳のマイクロチューブルに含まれる量子情報が全宇宙に拡散した状態であると説明される)

その出来事をこの世の言葉に翻訳(変換)し伝えようとするときには、人はこの世にある具体的な脳に戻ってきています。だから、その表現はそれぞれの脳のこの世での経験や業縁に影響されたものになります。だからといって、そのことをもって、脳を超えた共通の「源泉」のようなものは何もないという証拠にはならないのではないでしょうか。表現の多様性と、源泉の超越性は別のものとして考える必要があると思います。


前置きが長くなりました。というわけで、私が語る臨死体験も戻ってきてからの私の脳が描きだしたイメージにすぎないと意識して聞いていただきたいのです。


私の臨死体験。


そこにはただただ広大な宇宙が広がり、無数の星々が集(すだ)いました。それは完全に透明で静かな「永遠の今」でした。

何ものにも碍(さま)たげられることのない覚醒が宇宙の隅々まで行き渡っていました。その覚醒はすべてのものに沁みわたり、貫き、透き通っていました。


(6)

発句はその短詩型の芸術様式の中にあらかじめ欠落を孕んでいます。西洋の美術に置きかえると片腕のミロのヴィーナスのように。そこにあるはずのものがない。ないがゆえに、空っぽのままに無限の可能性を秘めて、変幻自在に揺らめいているのです。

なぜなら発句はもともと俳諧連歌という連綿として続いていく文芸の冒頭の五七五を指すものだったからです。少なくとも、その日本最高の巨匠である芭蕉の時代には、それは連歌の冒頭の句であるという意識が明瞭でした。それため、それが発句として投げ出され、後に続くはずの句が欠落したままであるとき、そこには禅でいうところの空が表現されていたのです。

思春期からそのことに注目していた私は、臨死体験のいわく言い難い風光を発句という形式でならば表現できないかと探り始めました。そのようにして多くの発句を詠みましたが、もとより本格的な修練を経ているわけでも、季語という重要な要素についてしっかり学んだわけでも修得しているわけでもありません。

飽くまでも素人芸に過ぎないのですが、日本人が臨死体験を表現する際のひとつの大いなる可能性を孕んだ短詩型文学ではないかという思いは強いのです。

発句は後に五七五で完結するミクロな額縁を持った絵画として成立したいわゆる「俳句」とは明らかに異なる芸術様式です。連綿と続くはずだった連歌の欠落という虚空を孕み、不完全であるがゆえに、無限の可能性にあふれた空に向かって開かれたままにあるのです。

もしも人がこの世の言葉を用いて、あの世とこの世を吹き抜ける風そのものを表現しようと願ったとするなら、私にはそれ以上に適した形式はないのではないかと思えたほどです。

以下に私が臨死体験を表現しようと試みて詠んだ拙い発句のいくつかを記録しておきたいと思います。


冬木立枝間遥かに星の咲く


野垂れ死に瞳の奥を雲流る


しゃれこうべやがて芽を吹く蕗の薹


春疾風夢も不安も吹き飛んで


珈琲の銀河の渦を掻き廻す


ナメクジや行方知らずの銀の道


鞦韆の勢い余り鳥になる


空に星 田には火垂るの 鏡かな

Countless stars in the sky

An equal number of fireflies are in the rice field

It is a miracle mirror


神の手の技の光るや朝の薔薇


雨上がり脳に染み入る蝉の声


朝露や無数の十字に耀けり


木漏れ日や君も私も光のかけら


風鈴や畳の上に我は無し


墓洗う首を上げれば夏日かな


何光年星から届く蝉時雨


かはひらこ瞬きすれば曼珠沙華


満月や血潮の満ちるひたひたと


庭の池雲の縮れて月の冴ゆ


月見舟舳先に分かる雲の波


星月夜合わせ鏡の湖面かな


天の河わたし飛び込むAUMかな


吸う息の往き着く果ての虚空かな


燃えていく細胞の夢放たれて


我という夢が燃え尽き喉仏


冬日射し定から滅へ白障子


今ここで光は時を知らぬまま


~限りなく広がる覚醒のさざなみ~


~それでもまた

 行く河の流れに

 名詞を置こうとする

 人間の営み~


(7)

 日本の仏教各派の中で最も信者の多いのは浄土真宗です。浄土宗を含めると、もっと多くの仏教徒が「浄土教」の信者ということになります。

 もっとも、その中には、熱心な念仏行者から、家の宗教がそうだが自覚もしていないという人まで含まれています。

 それにしても、浄土という日本語は、それら浄土教の宗派の枠も越えて一般的です。

「死んだらお浄土へ行く」という考えは長い間、日本人の精神世界をゆったりと包み込んでいたといえると思います。

では、その浄土とはいったいどういうところなのでしょうか。

それについては、浄土真宗でも浄土宗でも共通して用いられる浄土三部経の一つ『阿弥陀経』=(原題は『極楽の荘厳』)に精しく説かれています。

西方極楽浄土は阿弥陀仏の仏国土であるとされています。

昔の人々は阿弥陀仏の姿を光り耀く人格神のような姿で想像し、そのような方が、夕日の沈む果て、西方極楽浄土に鎮座されているとイメージしていたのでしょう。

しかし、私は臨死体験の際そのような方と会ったわけではありません。

極楽の様子の描写に精しい『阿弥陀経』を含む『浄土三部経』には思春期から親しんで読んできたにもかかわらずです。

会わなかったという言い方もできるし、臨死体験のイメージを想起して表現するときにも、私には『阿弥陀経』などの描く極楽のイメージを援用するのは、不自然なことでした。

昔の人はともかく、近代社会に生きる私たちにとっては、その極楽が西の彼方に、描かれたとおりの世界として実在するとは、到底信じることはできません。


では、私はいかなる意味においても「浄土」というものに逝かなかったのでしょうか?


この阿弥陀仏という言葉はもともと「量ることのできない限りなき智慧と生命」という意味のインドの言葉に由来しています。

それを金色に輝く仏像の姿で表現すること自体、ある種の「偶像崇拝」と言えるのではないでしょうか。

ここで私は天親菩薩の『浄土論』に注目します。

天親菩薩は、経典に描かれた浄土のしつらえ(荘厳)というのは、つまるところたった一句に収まると論じています。


その一句とは「清浄」です。


浄土の特徴をもし一句だけで表すのならば「清浄」、それに尽きるというのです。その天親の『浄土論』の詳しい注釈書『浄土論註』を書いた人に曇鸞がいます。
 天親の『浄土論』。曇鸞の『浄土論註』。

その二人の名前から一字ずつをもらい受けて名告りをあげたのが「親」「鸞」という浄土真宗を開いたとされている人です。

その親鸞もまた主著『教行信証』の証巻において、この天親の言葉を受けて、究極的には「清浄」こそが浄土のしつらえ(荘厳)であることを改めて強調しています。

浄土の特徴をその一句にまとめるのは、具体的なイメージを駆使して語るよりも遥かに普遍性を持った叙述の仕方なのです。


そして、私にとって最も重要なことは、それならば、私の臨死体験と一致するということなのです。

これまでも述べてきたように、この世に蘇生してから、人は再び活動しはじめた脳によって様々なイメージで死後の世界を詩的にあるいはストーリーとして再構成します。

私はそれらのすべては、傾聴すべき「その人自身の回想の中での真実」であると尊重します。

しかし、具体的なイメージを越えて、その共通した姿を一句に収めるならば、それは「清浄」というしかないというのは、とても普遍性の高い表現なのです。

また、親鸞は『唯心鈔文意』において阿弥陀仏について

「かたちもましまさず、いろもましまさず、阿弥陀仏は光明なり。光明は智慧のかたちなりとしるべし」と述べています。

「(阿弥陀仏には)形もなく、色もありません。それは量りしれない光です。その光とは限りなき智慧の姿だと知るべきなのです」というのです。


私が臨死体験で経験したのも次のような「色も形もない光=覚醒」でした。

そこには「私」という意識はなく、自他不二(じたふに=非二元的な)の覚醒だけがありました。

ただただどのような碍(さわ)りもなく澄み渡った覚醒が全時空に広がっていたのです。

 

親鸞の語る阿弥陀仏は、私にはまったく人格神のようなイメージを結びません。

『末燈抄』という消息(手紙)から引いてみましょう。


無上仏と申すは、かたちもなくまします。

かたちもましまさぬゆゑに、自然(じねん)とは申すなり。

かたちましますとしめすときには、無上涅槃(むじょうねはん)とは申さず。

かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏と申すぞ、ききならひて候ふ。


 (長澤訳)

無上仏(この上なき覚醒そのもの)には形はない。

形もないからこそ、自然(じねん)「ただただあるがままに」というのである。

形がある姿を現わすときには無上涅槃(むじょうねはん)「完全なる解放」とは言わない。

形もないありさまを知らせるために、はじめて弥陀仏(限りなき覚醒を私たちに伝える報身としての仏)と言うのだと、聞いて習いました。


もう一か所引いてみましょう。


弥陀仏は自然のやうをしらせん料(りょう)なり。

この道理をこころえつるのちには、

この自然のことはつねに沙汰すべきにはあらざるなり。


(長澤訳)

阿弥陀仏(限りなき覚醒をそのように名づけ表した報身仏)は自然(じねん)「ただただあるがままに」という在り方を身につけさせようとするための料(アート)である。

この道理を体得した後には、「ただただあるがままに」ということを常にあれこれ言葉で考えることはいらない。


このように色も形もない覚醒そのものを無上仏の実相としていたからこそ、親鸞は阿弥陀如来の木像などを本尊とせず、「南無阿弥陀仏」または「帰命尽十方無碍光如来」という名号を書いた掛け軸を本尊として布教していたのです。

ふたつの名号はそれぞれ六字の名号、十字の名号と呼ばれるが、意味は同じです。

ただ、南無阿弥陀仏はサンスクリット語の音写(発音を漢字で表そうとしたもの)であり、「帰命尽十方無碍光如来」は意訳(意味を漢語に訳したもの)なのです。


それを今一度、現代日本語に訳し直すならば、

「あらゆる方向に何の障りもなく沁み渡り無限に広がる智慧と慈悲の光にすべてをまかせます」

という意味になります。

この「あらゆる方向に何の障りもなく沁み渡り無限に広がる智慧と慈悲の光」こそ、臨死体験の真実相でした。


後に私はソウルメイトとも言うべきパートナーから驚くべき証言を聞きました。

回復してきた私が自分の臨死体験を「宇宙のすべてに覚醒が沁み渡ったような感じだった」と述懐したときのことです。

彼女はこう語ったのです。

「実は自分もそんな感じだった。ひかるさんが宇宙のすべてに浸透しているのが感じられた。そして完全に静寂な世界にいるのがわかった。ただ、こちら側から見ると、それはとても淋しいことでもあった。」 


(8)

 前節では、私の臨死体験を浄土教の言説と照応してみました。

 ふたつの点にまとめると、


1.浄土の荘厳(しつらえ)を究極の一句にまとめるとただただ「清浄」である。

2.阿弥陀仏とは人格神のようなものではなく、「尽十方無碍光」である。


 その二点がとても重要です。


 それは第五節の終わりに私があえて散文でまとめた説明にもきれいに一致すると感じます。


 そこにはただただ広大な宇宙が広がり、無数の星々が集(すだ)いました。それは完全に透明で静かな「永遠の今」でした。→ 「清浄」

何ものにも碍(さま)たげられることのない覚醒が宇宙の隅々まで行き渡っていました。その覚醒はすべてのものに沁みわたり、貫き、透き通っていました。→ 「尽十方無碍光」


「清浄」は浄土の性質をやや静的にとらえたものといえます。「尽十方無碍光」はその透明な覚醒(智慧と大悲)が、常にひたひたと何の碍(さま)たげもなくすべてに染み渡っていく動的な側面を捉えているといえます。


ここで光というものの性質について、少し付け加えておきたいことがあります。

光は物質と、非物質(空?)の境界線上にある不可思議な存在=非存在です。

この世のすべての存在は、実は光がある種の方程式に基づいて物質性へと固着したものといえます。

全存在は物質でもあり、同時にエネルギーでもあります。

アインシュタインが発見した「エネルギー、物質、光の関係性」は、E=MC(2乗)という方程式で表現されているのは多くの人々の知るところです。

日本語に置き換えると、エネルギー=物質の質量×光速の2乗という法則がこの時空を貫いています。

すべての物質は実はエネルギーが固着したものであり、それがエネルギーに戻るときには、質量×光速の2乗という莫大なエネルギーを放つのです。
 ウランなどの物質は核分裂によってそのエネルギーへの還元が起こりやすい特別な鉱物です。

そのような鉱物や核分裂を引き起こす方法が発見されることによって、それは原子力の根本原理ともなりました。

この発見自体は存在の秘密の鍵を開ける科学のひとつでした。

が、悪用されると膨大なエネルギーで、一瞬にして都市を壊滅させられます。

その悪用への抗議については本書の守備範囲ではありません。が、「平和利用」の名のもとに全地球を放射能の危機にさらしている原子力発電の問題も含め、非常に大切なテーマです。


ここではとにかく「光」というものが、空なるものの放つエネルギーを物質的な存在へと固着させていく際の、最も重要な鍵となっていることを押さえたいと思います。

そのようにして成り立っているのが、時間と空間の中での物質的存在であることを確認したいと思います。

時空の中にあるすべての物質的存在は、エネルギーが光という媒体に基づいて、方程式によって固着したものといえるのです。


それを「エネルギーとしての実相」で観るためには、実際に核分裂を起こし、閃光とエネルギーを解き放つことが必ずしも必要というわけではありません。


 私たちは深い瞑想体験や、また臨死体験によって、「時空とそこに存在するかのごとく仮想される物質」は「空なる世界に遊ぶエネルギー」でもあるという世界を目の当たりに知ることができます。

 私はそのような色即是空空即是色の光景を、若いころから瞑想などによって垣間見てきました。

そしてその光景は、臨死体験によって最終的に透徹した視野となりました。


それ以後、そのような光景を私はどのように表現したらよいのか、常に探求してきました。

 あるとき、私はインドの楽器シタールの基本的なコードDを中心にしたロックンロールでそれを表現することを試みました。

CDにも収録し、ライブ映像などもYOUTUBEにアップしていますが、この紙面では歌詞のみ紹介してみたいと思います。


海辺の万華鏡  作詞・作曲 ひかる 2021年


指の先から零れる光の粒子

虹の羽を広げる無数の蝶に変化(へんげ)


眩しい空に広がる


波打ち際で振り向く君の笑顔

水平線の向こうが眸にハレーション


砂浜に倒れて空飛ぶ


僕の頭が吹っ飛んだ

君の頭が吹っ飛んだ

すべての垣根吹っ飛んだ

月も太陽も吹っ飛んだ


踊れ宇宙を貫いて

踊れすべてを貫いて

君の秘密を貫いて

踊れすべてを貫いて


やがて燃え尽きるこの命

やがて燃え尽きるこの太陽

砕けて舞い踊る銀河の吹雪

時空の尽き果てる今ここ


僕の頭が吹っ飛んだ

君の頭が吹っ飛んだ

すべての垣根吹っ飛んだ

月も太陽も吹っ飛んだ


踊れ宇宙を貫いて

踊れすべてを貫いて

君の秘密を貫いて

踊れすべてを貫いて


やがて萌えいづる命の息吹

やがて萌えあがる新しい太陽

砕けて舞い踊る銀河の吹雪

時空の花開く今ここ

時空の花開く今ここ



(9)

~光は障碍物を必要としている~


光の性質についてもうひとつ述べておきたいことがあります。

 臨死体験で、または浄土教でいう「無碍光」は、時間と空間の中で観察される「通常の光」とは異なります。

 通常の光は遮蔽物があると貫き通すことができません。

 無碍光ではないのです。

物質的な障碍物を通り抜けることができません。

無碍光はどんな障碍物も通り抜けることができ、宇宙の隅々まで染み渡ります。

「清浄」なる「無碍光」だけが一切の存在に染み渡ります。


しかし、それは生死を超えた究極の世界においてのみです。


実は、無碍光ももっと繊細なレベルでは障碍に反射するという性質を持っています。

もし、そうでなければ、存在=非存在は、清浄なる無碍光がひたひたと打ち寄せるだけの「空なる世界」だったでしょう。

時空のあるこの物質的な世界は存在すらしなかったでしょう。

最終的には無碍光は、一切の遮りを溶かし切って、光だけの世界に召喚するのは確かです。

しかし、私たちが現に生きているこの娑婆世界では、無碍光もまた「あえて」障碍物としての私たち衆生(生きとし生けるもの)や物質世界を通り抜けずに、照らし出します。

そうでなければ私たちのこの限界のある世界は初めから存在しえなかったのです。


このことを説明するために私がしばしば用いる比喩は、宇宙空間の暗黒です。

この物質的宇宙でのお話なのですが、私たちの太陽系では最も遠い惑星まで太陽の光が届き、惑星は自ら輝いていないのにもかかわらず、太陽の光を反射して煌めくのはよく知られている事実です。

しかし、宇宙空間は実際には暗黒です。

そこに太陽の光はまっすぐに進行しているだけです。なぜならそこには光を遮る障碍物がないからです。障碍がなければ光は暗黒の中を進行するだけです。
 物質的宇宙で私たちの網膜が眩しい光を捕捉することができるのは、光源の方向を見た場合と、何かに反射した光を見た場合だけです。

惑星が光るのも、月が光るのも、太陽光を反射するからです。碍げるから反射するのです。

また空が青いのは、大気中の無数の粒子が青い光を反射しているからです。何千メートルもの高山に登ると頭上の空気の層はやや薄くなり、空は青からやや紫に近づきます。宇宙空間の暗黒でもなく、地表から見る青でもない、その紫の空の不思議な色合いは私たちの魂をどこか深い次元に誘う魅力を持っています。

このように物質宇宙において、光の障碍物がなければ、そこは暗黒の世界です。

そのことは比喩となって、精神的な次元での光と障碍物の関係を物語っていると思います。

阿弥陀仏と音訳され、尽十方無碍光如来と意訳される限りなき光は、煩悩に満ちた私たちを照らし出します。私たちはその光を煩悩という障碍によって遮ることで反射するのです。


これによって了解されると思うのです。

私たちが無碍光を必要としているだけではない。

無碍光の方でも私たちを必要としているのです。

様々な限界を持った、煩悩にまみれ、姿形を持った私たちが存在しなければ、この世界は光が暗闇の中をどこまでも進行するだけの伽藍洞です。

悩み苦しむことは何もないが、それぞれが自分自身にしか放つことのできない光を反射することもないのです。

私たちは皆、無碍光の障碍物です。だからこそ、それぞれの光を放つことができるのです。


仏教では悟りを開いていく道筋を往相、悟りを開いた存在がこの世で光を放ち、光の輝きを告げ知らせる道筋を還相と言います。

それを私は次のように表現したいと思います。

往相(悟りに向かって往く姿)とは、私たちが無碍光に目覚めそれに身をさらし、光にとけていくプロセスです。

還相(悟りをひらいた自分がこの世で周囲に光を放つこと)とは、無碍光に必要とされるままに、私たちがこの世の限界ある存在として自分自身にしか反射することのできない光を反射することなのです。


もしも私が心肺停止のあと意識を回復せずあのまま死んでしまっていたら・・・。何度も私はそれを考えました。

安らぎに満ちた何の障碍もない、清浄で無碍な境涯。

永遠の今ここに目覚めている世界。

それはこの上ない真実(サット)、覚醒(チット)、至福(アーナンダ)=サッチタナンダです。

しかし、それは光自身は光を体験しないことからわかるように、光に満ちた暗黒であり、私はこの世になに一つ働きかけることができないのです。


(10)


 臨死体験で観た「生と死を超えた境地」の特徴を一言で表すとするならば。何の障りもない(融通無碍)、無限の至福と安らぎに満ちた覚醒です。
 そこに自足する限り、何の問題も不満もありません。

 しかし、これはこの娑婆世界に還ってきてから気づいたことなのですが、あの世界ではこの世に何のはたらきかけもすることができないのです。それだけが「生死を超えた境涯」のたったひとつ寂しい面なのです。

 いや、「生死を超えた覚醒」の只中にあるとき、私は「寂しい」と感じていたわけではありません。繰り返しになりますが、そこには何の問題も不満もありませんでした。

 が、この娑婆世界に還ってきてから振り返ってみるならば、あの「完全な世界」のたったひとつ寂しいところは、この世に具体的にはたらきかけることができないということなのです。

 もしも娑婆世界で苦しんでいる人がいても、声をかけることもできません。話しかけることができないばかりか、話を聞いてあげることもできません。落ち込んでがっくり肩を落としている背中を見ても、その背中に手をあててあげることもできないのです。

 ただ背中に手をあててもらうこと、それによってどれほど安らぎが満ち、体が緩み、心が解放されていくか。それを生きている私たちは知っていて、互いにそうすることができます。

自分はどれほど安らぎに満ちていても、それを伝播することができないのが、生死を超えて、娑婆との交わりを失った世界なのです。

 もとより「完全な世界」から観ると、彼らも一切の生き物も、いや山や川や海や空、街さえもひとつの無碍なる光であり、そこには実は何の問題もありません。

 しかし、娑婆世界の只中にあるとき、そこには様々な精神的・身体的な苦しみ、悩みがあります。病があり、死があり、出会いがある反面、別れがあります。

どうにかしたいけれども、どうにもならないことがあります。

憎しみ合いがあり、殺し合いがあり、愛する人が目の前で死んでいくこともあります。

追い詰められた事情の中で、愛する人を殺さなければならないことすらあるのです。

そのような「現実」に対して何のはたらきかけもできない世界。それが「生死を超えた安らぎと覚醒の広がる世界」だとしたら、私たちはそこに留まりたいでしょうか。

いや、その世界を知ったからこそ、その味わいの片鱗でもいい、娑婆世界で苦しみにもがいて流転するあらゆる存在に伝えたいと感じるのです。

そのため、仏教では菩薩と呼ばれる存在はその「完全な世界」に留まることをあえて避け、もう一度、煩悩に満ちた娑婆世界に生まれなおすといいます。融通無碍なる永遠の今ここと、時空の中にある限界のある世界が交わるのです。

その風光を親鸞は「正信偈」と呼ばれる偈頌の中で、天親の『浄土論』の言葉を借りながら、次のように謳いあげています。

次のうち前の二句が「永遠の今ここ」を、後の二句がそこから敢えて「時空の中にある娑婆」に参入していく様子を表しています。


得至蓮華蔵世界


こうして私たちは生と死を超えて

私たちは(悟りを表す)蓮華の美しく咲く

安らかで軽やかな世界に生まれます


即証真如法性身


色もなく形もない完全に解放された光

空そのものを悟り、味わうことになるのです


遊煩悩林現神通


さあ、自由で解放された境地のままに

煩悩に満ち満ちた林に戻って遊びましょう

すべての人の悩みを聞き届け解き明かす力をもって

人々の瞳を覗き、手を握りましょう


入生死園示応化


生と死、迷いに満ちた意識の中を堂々巡りするお花畑に

あえて入っていって

あらゆるものたちと共に歌い踊りましょう

もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。