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この世に投げ返されて(32)   ~臨死体験と生きていることの奇跡~

(32)
 
 またすぐにでも見舞いに行こうと思いつつも、車椅子でバスに乗車しなければいけない私はついつい期間が空きがちでした。
そんなある夕刻、病院から「危篤状態です。すぐいらっしゃってください」という電話がありました。
  すぐに電動車椅子に乗って駅のロータリーまで行き、バスで病院に向かいました。
  看護師詰所に声をかけてから、病室に入っていくと、母は人口呼吸器を口にはめていました。しかし呼吸器は停止しているようでした。母に繋がれた計器を見るとすべての波形が水平に止まっていました。
  心肺停止状態のようです。
  やがて家族到着の知らせを受けたらしい医者が病室に現れました。彼は計器をちらりと見ると、母の手首に指を当て脈を確認しました。それから母の顔に近づき、人口呼吸器を外しました。母は目を閉じて眠っているようでした。
   医者はその瞼を指で開くとペンライトを当てました。瞳孔散大を確認しているようでした。このときにはもう私は確信していました。すべては確認の儀式であり、母はもう死亡しているのだと。
   医者は自分の腕時計を見て時刻を読み上げ「ご臨終です」と言いました。実際に死亡した時刻ではなく、医者が確認した時刻が、ひとりの人間の死亡時刻となり、それが死亡診断書に記録され、歴史になるのです。
  覚悟は決まっていたので、私は取り乱すことはありませんでした。母はもう逝かせてくれと願っていて、私はその声に、表面上の気持ちはともかく、意識の深いところでは、うなずいていたのです。
   医者は合掌して去っていき、後は看護師と打ち合わせました。病院の霊安室に移すか、すぐに葬儀社が引き取りに来るのか、実務的な話が始まりました。病室に安置できるのは何時頃までかと尋ねました。その日の深夜までは大丈夫ということでした。
   私は、では今夜中に遺体を引き取ると言いました。
  まもなく弟が病室に到着しました。弟も覚悟が決まっていて、取り乱すようなことはありませんでした。ただ静かに手を合わせました。
  今後の打ち合わせのため、ふたりで談話室に移動しました。
  弟が鞄をあけて、葬儀社に積み立ててある金額や、いざというときの各種プランやその費用などが書かれた紙を取り出しました。仕事からいったん自宅に戻り、すぐに書類などを用意して、車で駆け付けたのです。
   私はその書類にざっと目を通すと「いらない」と言いました。
  大学・大学院で仏教学を学んだ私は経典などを研究した結果、葬儀というのは欺瞞であると確信していました。
  その確信は自らの臨死体験によって、さらに深まっていました。
ところが、そのとき弟の携帯が鳴り響きました。葬儀社から電話がかかってきたのです。詰所で看護師に葬儀社について質問され、応えたためのようでした。
   母の身体は遺体という「物体」となり、病院は誰がいつ引き取りにくるのか、ベッドはいつ空くのかを算段しており、葬儀社は死の匂いを嗅ぎつけるとすぐハイエナのように群がってくるのです。
   私は弟から携帯電話を受け取り、葬儀社の担当者と話しました。
「どのプランも必要がない。火葬の日まで霊安室に安置することだけが必要です。それでいくらになりますか」
「プランはセットになっていまして、霊安室に安置だけということは出来かねます」
「貴社を選ばないとき、積立金はどうなりますか」
「契約者様のご親族の万が一の際にお使いいただけますが、しかし・・・」
私は携帯電話を口元から放し、積立金は弟の一家の関係者の誰かが使うように話をつけました。
電話口に戻ると、葬儀社の担当者は
「とにかく病院の方でもお困りと思いますので、ただいまより遺体を引き取りに参ります」
と話を進めようとします。
「しかし、プランや料金についての話が合わないので」
と言うと
「このままお電話では差し支えありますので、それは明日以降にじっくりと膝を詰めてお話をさせていただきたい所存でございます。今はひとまずご遺体を引き取りに参りまして・・・」
「あなたのところでしないと言っている。遺体を人質にするつもりか」と私は語気を強めました。
「あの・・・・」
「とにかく、来なくていい」
私は携帯電話を切って、弟に返しました。
「霊安室と火葬だけのプランに応じる葬儀社があるはずやな。反対する者が誰かおるかな。おらんようやったら、そういう風にできる会社を検索していいか」
  弟は私の目をじっと見つめました。
「読経は僕がする。何もわかっていない僧侶よりずっとええ。あの安らぎと解放だけの世界に送り届けるから何も心配すんな」
   実は読経をしなくても、母は既にそこに解放されていると私は確信していました。しかし、見送る側の納得と慰めのためにその手順は必要だというのが私の考えでした。
「わかった。任せる」
  死後の世界を経験したと語り続けてきた私の言葉に弟はそう同意したのでした。
   私は自分のスマホで、葬儀社を検索しました。殆ど私の考え通りに進められそうなプランのある葬儀社はすぐに出てきました。
   私はその会社に電話し、自分の考えを言いました。
「霊安室に安置中にどなたもご遺体にお会いできないということでよろしいでしょうか?」
「いや、数少ない親族がお別れを言いに来られるようにしてほしいのです」
「何名くらいでしょうか」
「5名から多くて10名ぐらいです」
「そのようなお部屋をご用意させていただきます」
  葬儀社は火葬手続き代行、火葬までの費用を含めて、いくらになると言いました。
  霊安室で親族が会える部屋を選んだ分だけ、少し高くなりました。
  また「骨は拾わない0葬をするので骨壺はいらない」と言ったのですが、その葬儀社ですら骨壺はセットになっていて、外すこともその分を料金から引くこともできないと言われました。
   参考のために読者の皆様にお知りおきいただきたいのですが、そのようにした場合で、葬儀費用はすべて合わせてその会社の場合で13万円ほどに収まりました。
   不本意だったのは骨壺はいらないというのにセットから外せなかった点だけです。
  家族葬というものが広がりを見せている現在ですら、最後まで日本人の心に根深く残っているのが遺骨信仰でしょうか。そのために最後まで「セット」から外れていないのが骨壺だったのです。
   遺骨信仰のため、人々はお墓を「先祖」から受け継いだり、新たに用意したりします。あるいは散骨という道を選ぶ場合も、森林葬、海洋葬、樹木葬などの長短に悩みます。
   しかし、遺骨信仰がなければそのようなことは一切不要です。
いったい、人々は本当に遺骨といったものに何か霊や魂のようなものが宿ると信じているのでしょうか。
   いずれにしろ、遺骨の大部分は「産業廃棄物」となります。いわゆる「お骨拾い」で骨壺に入るのはごく一部です。それを最後のよすがとするのは、遺されたものの側の「センチメンタリズム」と言わざるをえないのではないでしょうか。
  私には遺骨信仰は全くありませんでした。
  あの完全に解放された生死を越えた世界と遺体や遺骨には何の関係もありません。そのことを私は自分の経験として深く信頼していました。

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