歎異抄 聖道の慈悲 浄土の慈悲

歎異抄 第4章               長澤靖浩訳
2012年のFACEBOOKより。
臨死体験をしていないときの訳になります。
ぜひ『臨死体験であの世がわかった著者が訳した 超簡単訳 歎異抄・般若心経』の訳を比べてみてください。
僕も比べてみて、なにが変わったと思うか、分析してみたいと思っています。

 聖道の慈悲 浄土の慈悲

 喜びをわかちあい、悲しみを抜き去りたいという心には、自分の力でそれを行おうとするものから、自分のはからいを越えたものへと変わっていく瞬間があります。
 自分の力で行おうという場合、とにかくかわいそうに思い、かなしくなり、なんとかしてあげようとします。けれども、自分の思ったとおりに助けきるなんて、ほんとうにめったにできません。
 自分のはからいを越えていくとは、宇宙の無限の働きを信頼して、その信頼の中にしっかりと中心を定め、ありとあらゆるものを通じて働いている力のままに、自在に、生きとし生けるものが、自ずから花開いていくことを意味しています。
 この娑婆世界においては、どれほどいとおしい、かわいそうだと思っても、あなたもご存じのように、喜びをわかちあい、悲しみを抜き去ることをやり通すことができません。そうであればこそ、宇宙の無限の働きを信頼し、中心を定めて、その上で自らのなすべきことをなすことだけが、最後まで貫徹する大いなる共感性を生きることなのです。

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