誰に南無するか

誰に南無するか。

ということなんだけど、OSHOは、グルは宇宙の扉なので、グルにサレンダーすれば宇宙にサレンダーすることになるという考え方をもっていたと思う。
だからサニヤシンは生身の人間であるラジニーシにサレンダーしちゃい、
しかも、頭でいろいろ考えることを「マインドだ」と否定する傾向があったので、
いろいろ問題がありました。
つまり、OSHOがいろいろな分野について、殆ど思いつきで言っているようなことを鵜呑みにする傾向があったと思う。
もっともOSHOは旧来の宗教の道徳観念を破壊してきたという意味では、かなり自由だったんだけど、
いかんせん、OSHOは科学に弱かったと思う。
弱かったというのは、単に無知だったという意味ではなく、悪い意味で科学信仰があったという意味だ。
遺伝子操作の肯定、原子力や核抑止論の肯定などなど。
欧米コンプレックスがあったのかもしれない。
ロールスロイス、コカコーラ、西洋美人が好きだった(???)のも、その延長かもしれない。

一方、僕のもうひとりのグルであったグルマイは、シャクティパットの専門家としては、一流だった。
でも、こっちは旧来のヒンズー教の道徳観念みたいなものに縛られていたし、
ムクタナンダや、グルマイの言説をよく読むと、カースト制度をカルマの名のもとに肯定してしまっているようなところがある。
(OSHOはカーストを肯定するようなことを直接はあまり言ってないが、貧しい生まれなどをカルマ論的にとらえていたので、同じようなヒンズー教的枠組の中にいたと思う。)
師匠のいないOSHOについては個人崇拝に陥りやすいのに比べて、シッダヨーガが、うまく機能していた点は、グルマイはムクタナンダに帰依していて、ムクタナンダはニッチャナンダに帰依していて、それぞれ自分のグルに帰依しているという伝統が、歴史を遡って過去の彼方に消えるので、うまく個人崇拝は回避されるのである。
しかし、ムクタナンダも西洋美人が好きだったという噂は絶えなかった。
まあ、日本のアメリカに渡った禅僧も、初めてアメリカに行った頃のあび(1982年)も人のことは言えないが。

さて、親鸞である。
親鸞はもちろん阿弥陀仏に南無する。
しかも阿弥陀仏に南無するという心自体が、阿弥陀仏から廻向されてきたものという思想が、OSHOやグルマイより明確だった。
しかし、この阿弥陀仏を仏像や絵画のイメージで人格神的な姿でとらえると、人は真意を踏み外す。
ここは法身と報身の相違に関するややこしい議論もありうる箇所だが、
究極的には、
「唯信鈔文意」にあるように、色もなく形もなく、人智を越えた、表現しようのないものに帰依するというのが真意であろう。
たとえ、尽十方無碍光如来というも、すでにして光に喩えた時点で、報身であり、法蔵菩薩の誓願に報いて、この世に働きかける姿なのであるから、そこにはひとつの物語があり、「神話化」がある。
実に浄土教の特質は、この誓願に応えての顕現という時空を越えたものと時空の中にある業あるものとの切り結びにある。
が、この切り結びの神話性が、普遍化への軛でもあるというパラドックスがある。
色もなく、形もないとだけ言っておれば、普遍的ではあるが、切り結ばない。
切り結びようのないものを切り結ぶぎりぎりの表現が、尽十方無碍光如来という「イメージ」である。
また、私が臨死体験を、この世に戻ってこの世の言葉で言い表したときの「時空のすべてに貫き通る覚醒」「同時にそれは今ここの永遠の光」である。

加えて、親鸞には、OSHOと同じく旧来の道徳の軛はない。
ヴェジタリアンでないという意味では、OSHOよりも、ないぐらいだ。
ここにあびは、狩猟採集民族を差別しないという積極的意味も見いだす。
カーストのような貴賤もないし、民族性に対する優越感もコンプレックスもない。
すべてを超越する色もなく形もない存在の下にあらゆるものが対等である。
福澤諭吉のような欧米コンプレックスとアジア蔑視の潜んだエセ平等論とは、わけが違う。
しかも「私は弟子をひとりももたない」と言った親鸞を個人崇拝すること自体が、親鸞思想に悖る。
よーく考えてみたら、親鸞が社会的・対人的に言っていることは、小中学校の先生が、(少なくとも僕の小中学校時代には)皆、親鸞と関係なく、言っていた。
あたりまえすぎて、その原理原則が壊される時代が、再びこの島に来ようとは・・・今の日本は、子どもの頃には思ってもみなかった事態に陥っている。(^_^;

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