「倶舎論」をめぐって

LXXIII
ところで、阿含経との関わりといえば、忘れてはならない特異な注釈がある。シャマタデーヴァ(Samathadeva)の『倶舎論注必携』(Abhidharmakosatika-upayika)がそれである。この注釈について櫻部博士は、こう述べている。
 チベット語訳にのみ存する特殊な註釈としてなおシャマタデーヴァの『ウパーイカー』がある。これは倶舎論の中に引用された阿含経典の出典を詳しく示した珍しい内容のものである。(櫻部建「アビダルマ論書雑記一、二(一)」『毘曇部第十二巻月報 三蔵104』昭和50年、p.91)
阿含経典からアビダルマ論書へと進んだと思われるので、『倶舎論』などの背景にも経典の裏付けは間違いなくある。櫻部博士は、この辺の事情をこう説明している。
 有部の阿含というものの形態を明らかにすることは、有部思想の成立史的研究の上で欠くことのできない重要性を有することとなる。しかし、有部の阿含は、整った形では我々に得られていない。そこに、成立史的考察の上に、一つのギャップが在ることは否定できないのである。…有部の阿含がいかなるものであったか。すくなくとも、世親が倶舎論を述作するに当たって依用した阿含がいかなるものであったか、を推測する手懸りは存する。シャマタデーヴァ(Samathadeva)による倶舎論註がそれである。…これは…通常の註釈書ではなくて、先ず、倶舎論の中で阿含経典より(時には論書より)の引用であると見られる部分について、一々その所引の文・句を挙げ、次にその文・句を含む原経典の全文またはその一節(khanda,sutrakhanda)を掲げる(または単に経題を挙げ、あるいは経の属する篇・品を挙げてその所在を示す)という仕方によって成り立っている特殊な論書である。…この論書は、それによって倶舎論本文の理解が助けられるということよりも、それが未知の阿含経典の資料を豊富に(シャマタデーヴァ註に含まれる阿含経典の総量は、いくらかの重複を見込むとしても、凡そ倶舎論の分量を下らない)提供するという点において、一層大きな意義をもつものであると考えられる。そこに見られる阿含の形態が、そのまま世親依用の契経のそれと同一であると、ただちに決めつけてしまうことは早計であるにしても、少なくとも、極めて近い関係にあると考えることは自然であろう。とすると、この論に包含されている阿含経典を整理して見れば、われわれはそこに、今は失われた説一切有部所伝の阿含経の、少なくとも一つの形態を、ある程度まで明らかにし得るであろう、という希望がもてる。しかし、実際は、この究明は仲々容易でない。…それらの経を、現存の漢・パ〔-リ〕の阿含と比較して、対応するものを見出すにも、時に甚だ困難を感ずるのである。(櫻部建『倶舎論の研究 界・根品』昭和44年、pp.37-38,〔 〕内私の補足)
この櫻部博士の所論は、大分以前のものである。

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