因明(インド論理学)

その8
私の把握している範囲で、ジャーの他に、5つほど先行業績がある。順次紹介しておこう。まず、シャイヤーの「インド哲学における時間の問題への提言」S.Schater,Contribution to the Problem of Time in Indian Philosophy,Kracow,1938という古い業績がある。この中に「三時の考察」の英訳があるそうだが、私は見ていない。次に、畠山教圓氏の「仏教における時間論の一考察」『密教文化』51、昭和35年(1960年)pp.54-65がある。これは、『倶舎論』や『順正理論』等の時間論を踏まえ、『真理綱要』を考察する。畠山氏は、「三世の考察」を3つに分ける。1つ目は、『倶舎論』等の祖述(1786-90偈)、次に、ヴァスミトラ(世友)を特に取り上げ、衆賢説にも論証式で論難する(1791-1842偈)、3つ目は著者自身の立場(1843-56偈)である。氏は、時間論を存在論即ち二諦の問題とからめて論述する。氏はこう述べている。
 時間論の課題は存在するものへの課題へと移行し、三世なる時間の様相から観察される存在論が如何様に展開するかを検討することにする。(畠山教圓氏「仏教における時間論の一考察」『密教文化』51、昭和35年(1960年)p.55)
時間論が存在論と密接に関係することは明白であろう。次には、菅沼晃「寂護の三世実有批判論―Tattvasamgraha,Traikalyapriksa―」『東洋大学大学院紀要』1、1964年、pp.75-105)がある。本論文は、「三時の考察」偈と注全文の和訳であり、詳細な注記も付されている。本章考察に当たって、最も便宜を与えてくれるであろう。菅沼博士は、「三時の考察」の特質を次のように述べている。
 略説すると、シャーンタラクシタの仏教史上の立場は、謂う所の唯識無境という語によって示されるものである。...このような唯識無境の立場が、かれの三世実有を批判する根本的な立場であると見てよいだろう。(菅沼晃「寂護の三世実有批判論―Tattvasamgraha,Traikalyapriksa―」『東洋大学大学院紀要』1、1964年、p.76)


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