因明(インド論理学)

その6
世親の失われた反サーンキヤ論書『七十真実論』には、触れる機会もあろう。渡辺博士が指摘する虎の比喩は、『倶舎論』第9章「破我品」にある。以下の如し。
〔悪しき〕見解の牙(damstra,mche ba)に傷つけられ(avabheda)、〔良き〕諸々の業が滅びる(bhramsa)のを鑑みて、勝者達〔である諸仏〕は、教え(dharma)を説いた。母虎(vyadhri,stag mo)が子供(pota,phrug gu)を携えていく(apahara,khyer ba)ように。(原文ローマ字転写、漢訳・チベット訳も付す)
drstidamstravabhedam ca bhramsam copeksya karmanam/
desayanti jina dharmam vyadhripotapaharavat//(p.470,ll.7-8)
lta bas mche bas smras pa dang//las rnams ‘jig pa las bltos nas//
stag mos phrug gu khyer ba ltar//rgyal pas chos ni ston par mdzad//(Ngu,102a/4)
觀爲見所傷 及壊諸善行 故佛説正法 如牝虎銜子(玄奘訳、大正新修大蔵経、No.1558,p.156a/13-14)
 觀見牙傷身 及棄捨善行 諸佛説正法 如雌虎銜子(眞諦訳、大正新修大蔵経、No.1559,p.307b/15-16) 
『真理綱要難語釈』の指摘個所には、以下のようにある。
 damstri(read.drsti by BBS.,p.117,ll.8-9)damstravabhedam ca bhramsam caveksya karmanam/desayanti jina dharmam vyadhripotapaharavat(G.O.S.版、p.129,ll.19-20)
lta ba’i mche bas smas pa dang//las rnams ‘jig pa la ltos nas//
stag mos phru gu khyer ba ltar//rgyal bas chos rnams bstan ma mdzad//(デルゲ版、No.4267、Ze,224a/4)
英訳者ジャーは、以下のように訳す。
 The Jinas propound the Dharma,-on the analogy of the Tigeress’s Cub(?).(p.224)
ジャーの時点では、気付いていないが、B.B.S.版には、『倶舎論』からの引用であることも明記されている。
 さて、『真理綱要』に関する研究書・論文は、非常な数に上る。ネット検索は、真理綱要、摂真実論、Tattvasamgrahaで行い、INBUS DBのデータ情報を見れば、十分である。興味のある方は、実際に、ご自分で検索することを薦める。ここでは、いくつかの関連書籍を紹介し、合わせて、ややマニアックな情報を提供しておこう。先ず、第1章で考察されるサーンキヤ思想は、他の章でも言及される。そのすべての訳が、本田惠『サーンキヤ哲学研究』上にある。本田氏の著書には、サーンキヤに触れるほぼすべてのインド仏教文献が解説されている。また、そのうちの1章を詳細に訳注研究したものに、今西順吉「根本原質の考察:タットヴァサングラハ第一章の訳註」『北海道大学文学部紀要』20(2),1972,pp.147-227があり、ネットで披見出来る。サーンキヤ思想に注目するのは、世親との関わりが取り分け深いからである。また、菱田邦男『インド自然哲学の研究―Tattvasamgrahaの一考察とSaptapadarthaの和訳解説』は、第10章から第15章で展開されるヴァイシェーシカ学派の存在規定、一般には句義(padartha)についての、研究書である。句義とは、1種のカテゴリー論である。概念的に過ぎるとして、批判されるが、現代思想の難問にも答えるような優れた考えとも指摘されている。更に、メインの第26章の1部は、川崎信定『一切知思想の研究』で言及されている。この章に関しては、サラ・マクリントック『一切智と論証の修辞学;合理性、論拠、宗教的権威に対するシャーンタラクシタとカマラシーラ』Sara.L.MaClintock、Ominiscience and the Rhetoric of Reason:Santaraksita and Kamalasila on Rationality,Argumentation,and Religious Authority(2010)という英文書が公刊されている。
 ここで、幾分専門的な話題を示しておこう。第23章「外界対象の考察」は、菅沼晃氏により、「『摂真実論』外境批判章訳註(一)」『勝又俊教博士古希記念論集 大乗仏教から密教へ』(1981)、同、「『摂真実論』外境批判章訳註(二)」『仏教の歴史と思想 壬生台瞬博士頌寿記念』(1985)として、相当昔に研究がなされている。しかし、これで研究課題が終わったのではない。実は、第23章には、ディグナーガの『観所縁』Alambanapariksaという有名な作品の引用がある。これに関して、近年、全く異なる意見が提示された。西沢史仁氏は、『観所縁論』はカマラシーラの批判対象であった、と論ずる(西沢史仁「カマラシーラのディグナーガ批判」『インド哲学仏教学研究』3(1995)、これに対し、カマラシーラは『観所縁論』に同意している、という意見が、松岡寛子氏により提出された(松岡寛子「『タットヴァサングラハ』「外界対象の検討」章に引用される『観所縁論』の意義」『印度学仏教学研究』60-3(2012)。このように、問題は片付いていないのである。


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