仏教余話

その114
さて、袴谷氏の説明にも現れている『大乗起信論』については、また、後で、詳しく、触れることにして、まずは、三島も参考にしたかもしれない、法相宗の所依の聖典『成唯識論』について、述べておこう。この書は、三島も触れる、世親の『唯識三十頌』の注釈ではあるのだが、その制作過程は、謎に満ちたものである。再度、袴谷氏の言葉を聴こう。
『成唯識論』は、ヴァスバンドゥ(世親)の『唯識三十頌』に対してなされたインド諸論師の註釈を、玄奘が一部の書にまとめて訳したもの(糅釈)で、現行の『成唯識論』に直接対応する原典がかってインドに存在したわけではない。〔基の『成唯識論』注釈〕『枢要』が本書について「復た本は五天(インド)には玆の糅釈なし」(巻上本)と指摘されたとおりである。本のインドで『唯識三十頌』に註釈をなしたとされる諸論師は、世に十大論師と称される…これら十人の論師のすべてが『唯識三十頌』に註釈を著したというのも伝承で知られるのみで、現在ではスティラマティの註釈とそれに対するヴィニータデーヴァの複註とがサンスクリットとチベット訳に残されているにすぎない。したがって、玄奘がこれら十人の註釈をどのように取捨して糅釈となしたかは現在では直接分析しようもなく、事は伝承を信ずることから開始されねばならないのである。…玄奘のある意味では代表的翻訳と称してもよい『成唯識論』はこのように訳出され成立したが、それはこの訳場にただ一人参じた基自身の証言にもかかわらず、その中心部にはなにかしら濃い霧が立ちこめ真相が覆い隠されているような感を与える。(袴谷憲昭「仏教史の中の玄奘」、桑山正進・袴谷憲昭『玄奘』1981,pp.310-312,〔 〕内私の補足)
全く、不可思議な書である。なお、ついでに、述べておくと、『成唯識論』が注釈した『唯識三十頌』を歌手の宇多田ヒカルが、写経していると、ネットで報じていた。『唯識三十頌』は、サンスクリット語原典もあるし、内容は、相当難解なので、写経向きではないような気がする。宇多田ヒカルは、三島フアンで、『唯識三十頌』のことも、三島の本で知ったらしい。ゴシップネタのようなこぼれ話の1つではある。


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