「倶舎論」をめぐって

LXXXVI
かなりマニアックな説明となった。問題点や議論が、今の段階では、把握出来ないかもしれないが、1番重要なのは、この種の話題に慣れることである。そして、内容を自分なりの言葉で、整理していけるようになれば、しめたものである。少なくとも、どの点が理解しずらいか、指摘出来れば、大いなる進歩である。仏教学の分野でも、何が書いてあるのか、わけのわからないものも横行している。というより、難しさを喜ぶ傾向さえある。しかし、
万人が見て、納得出来る論を展開することが、肝要であろう。チベットの『倶舎論』注にまつわる研究については、以上で終わるが、最後に、チャンキャ『学説綱要書』において、説一切有部の問題点が、どのように論じられているのか、さわりだけ示しておこう。
 他に、また、〔世親作〕『倶舎論』(mNgon pa mdzod,Abhidharmakosa)の偈と注、〔龍樹作『中論』(rTsa shes Madhyamaka-karika)の諸注釈と〔シャーンタラクシタ作〕『中観荘厳論』(dBu ma rgyanMadhyamakalamkara)の偈と注と〔バーヴィヴェーカ作〕『思択炎』(Tog ge ‘bar ba,Tarkajvara)等においても、毘婆沙師の主張の陳述は、たくさん現れているのである。先生(slop dpon,acarya)は、ヴァスミトラ(dByig bshes,Vasumitra、世友)と〔『雑阿毘曇心論』の著者〕ダルマトラータ(Chos skyob,Dharmatrata、法救)とブッダデーヴァ(Sangs rgyas lha,Buddhadeva)と〔『順正理論』の著者〕サンガバドラ(bDus bzang,Samgabhadra、衆賢)等であると知られているのである。第2 その誰かに基づいた学説のあり方には〕 見解(gzhi)道(lam,marga),果報(’bras bu,phala)の3つの設定のうち、第1(見解)は部派それぞれの主張方法は共通でないことが多いけれども、共通な主張方法を概略『倶舎論』(mdzod) の偈と注等に依存して、説明しよう。それにも、一般的な定立、そして、特に、外界対象(phyi don,bahirartha)の主張方法がある。第について、5つがある。二諦(bden gnyis)の定立、 蘊(phung,skandha)、界(khams,dhatu),処(skye mched,ayatana)の定立、有漏(zag bcas,asvara)無漏(zag med,anasvara)の定立、所知(shes bya,jneya)たる五位(gzhi lnga,pancavasutuka)の主張方法、三時が、実体(rdzas,dravya)であるとする主張方法である。
 gzhan yang mngon pa mdzod rtsa ‘grel dang rtsa shes kyi ‘grel bshas rnams dang dbu ma rgyan rtsa ‘grel dang rtog ge ‘bar ba sogs las kyang bye brag smra ba’i ‘dod pa brjod pa mang du ‘byung ngo//slob dpon ni/dbyig bshes dang/chos skyob dang/’dus bzang la sogs pa yin par grags so//gnyis pa la/gzhi lam ‘bras bu’i rnam gzhag gsum las dang po ni/sde pa so so’i ‘dod tshul thun mong ma yin pa mang mod kyang thun mong gi ‘dod tshul rags pa tsam zhig mdzod rtsa ‘grel la sogs la brten nas bshad bar bya ste/de la yang spyi’i rnam bzhag dang/bye brag tu phyi don ‘dod tshul lo//dang po la lnga/bden gnyis kyi rnam bzhag/phung khams skye mched kyi rnam bzhag/zag bcas zag med kyi rnam bzhag/shes bya gzhi lnga’i‘dod tshul//dus gsum rdzas su ‘dod tshul lo/(Satapitaka-Series,Cha,62b/6-63a5、チベット原典ローマ字転写)
世親のみならず、すべての仏教を俯瞰した上で、改めて、説一切有部を論じているので、その学殖に迫るのは、容易ではない。しかし、どの分野でも、チベット人学僧の智慧を生かさない手はないのである。チベット撰述『倶舎論』注の案内を通じて、その辺を理解してもらえると、幸いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?