仏教余話

その240
さて、斉藤氏は「『毘婆沙』と戯れる」という注釈家の文言を重要視する。しかし、たとえ、『大毘婆沙論』を信奉するグループが毘婆沙師だとしても、私の調査によれば、果たして、「戯れる」と訳してよいのか?侮蔑の意味なのか?判断するには、ちと、材料不足のような気もするのである。齋藤氏は、「侮蔑の意をこめて世親が「毘婆沙師(Vaibhasika)」の語を使用したとも考えられる。」と結論付けていた。確かに、侮蔑していたかもしれな
い。だが、それは、「意見を集成する」という著述スタイルへの反抗であり、「集成だけでなく、正論を述べよ。」という意向が世親にあったためかもしれない。名称についての示唆的な言及について、大御所の所説を紹介しておこう。荻原雲来博士は、次の如くいう。
 迦湿彌羅の学者相会し発智論の解釈を造る、此れ玄奘の漢訳せる阿毘達磨大ヒ婆沙論(Abhidharmamahavibhasa-sastra)二百巻なるものなり、此の時より以前は阿毘達磨即ち対法を所依とするを以て此の宗の学者を対法師(Abhidharmika)と称せしが、此の頃よりして六足身論の細釈を専要とせるを以て此の宗の学者を毘婆沙師(Vaibhasika)即ち細釈師と呼ぶ(荻原雲来『印度の仏教』?序には大正3年とある、p.176)
荻原博士は、毘婆沙師を細釈師と呼称する。著述スタイルにも一脈通ずるようにも思われる。大蔵経データベースで、細釈師はヒットしないが、対法師は『大毘婆沙論』『倶舎論』などに用例が31ヒットする。呼称に関しては、網羅的な研究が是非必要であろう。
ところで、問題視された2つのアビダルマ文献の年代についても、述べておこう。まず、『雑阿毘曇心論』は、世親のやや以前、であろう。木村博士は、こういう。
 大体上、〔世親の師にあたる〕如意論師と同輩位に見て然るべしと思われる…(木村泰賢「倶舎論述作の参考書について」『木村泰賢全集 第四巻 阿毘達磨論の研究』昭和43年所収、p.234)
もう1つの『入阿毘達磨論』については、櫻部建博士が、こう述べている。
 その作者が誰であるとしても、そして彼が世親と接触をもってにしてももたなかったにしても、入阿毘達磨論は『倶舎論』と同時かややそれに先立つ時代に成立したものと見られる。(櫻部建「附論『入阿毘達磨論』」『増補 佛教語の研究』平成9年所収、p.186)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?